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平和の視点
     
強国の論理
 アメリカの新しいリーダーとなったオバマ大統領が,自身初となる長期の外遊に出発しました。その訪問の国の中に,チェコが入っていました。そのチェコのプラハに訪問した際,大勢の市民の前で演説を行いました。その演説の中で,核兵器について自身の考えを披瀝したのです。しかも,この演説は,アメリカ大統領の発言としては画期的なものでした。その発言は,核兵器の廃絶を訴えると同時に,広島・長崎への爆弾投下には道義的責任があると言うことを認めたのです。

 オバマ大統領が外遊をしている頃の日本は,朝鮮民主主義人民共和国(以下,北朝鮮)のミサイル発射の話題に終始していました。実際には,ミサイルではなく,あくまでも人工衛星の実験だったようですが,当然その技術はミサイルへと転用が可能ですので,真の狙いはミサイル実験であることはほぼ間違いないでしょう。確かに,異国のミサイル状のものが自国の上空を通過するわけですから,日本としては看過できないのは間違いありません。しかし,ミサイル発射実験そのものを否定することが本当にできるのかは疑問です。
 ミサイル発射を受け,北朝鮮はその模様や市民の様子の映像を流していました。「将軍様のおかげ」といういつもの北朝鮮の調子の内容だったのですが,市民の中の発言に,「他国がミサイルを保有しているのに,なぜ私たちは非難されなければならないのか」という趣旨のものがありました。
 この発言は,北朝鮮だけでなく,世界の中で少なからず存在していた考えでしょう。しかし,その発言は,「世界の中で無制限に拡散することは危険である」という考えで打ち消されていました。しかし,その考えというのは,
既にミサイルを保有している強国の論理ではないでしょうか。それは,日本が最もその代表となる無盲目的に強国に従っている国の論理でもないでしょうか。
 けんかをする際,そのけんかの広がりを懸念することから,「お前は武器を持ってけんかに参加してはいけない。俺はリーダーなんだから武器を持ってけんかに参加する。」といって誰が納得するでしょう?そもそもけんか自体に問題があるわけで,さらに,そうした武器を持つ資格を誰が決めることができるのでしょう?
けんかを認めている以上,誰しも痛い思いをしたくないですから,武器を持って相手を威嚇したくなるのは当たり前ではないでしょうか。

 「核抑止論」は,本当に効果のあるものかを考える必要があります。
核抑止論は,核そのものの存在を認めたことになります。存在を認める以上,誰にもその保有を認める機会を与えることになります。冷戦を終え,テロとの戦いになっている現代社会においては,強国の論理は通用しなくなってきているのです。核兵器には,いかなる理由があろうとも正義はありません。アメリカは,「広島・長崎への原爆投下が戦争終了に繋がった」と自国の行動を評価してきました。しかし,その考えは,戦勝国の論理であり,強国の論理でもあります。そこには,兵器により苦しんだ,そして現在も苦しんでいる人たちの思いが全く無視されています。今回オバマ大統領が行った道義的責任発言は,そうした強国の論理への警鐘に他なりません。本当の平和は,「核抑止論」で守られるのではなく,武器や戦争そのものを否定することから始めないといけないという実にシンプル(実現するのはシンプルではないですが・・・)ことから臨んでいかないといけないのではないでしょうか。特に,唯一の被爆国である日本だからこそ,その実現に向けリーダーシップを発揮する資格と義務があるのではないでしょうか。
 
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一人ひとりの行動を  免罪符  異質な国  ねじれ  元を糺せば


メッセージ 越権行為  存在意義  耳障り  負の連鎖  濁流

日本らしさ そんなの関係ある
    
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