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平和の視点
     
       
 私がいつも行っている銭湯に入っていると,よく女性用のお風呂から会話が聞こえてきます。その多くは,子どもの話題や仕事のことですが,時には亭主への不満(?)だったりもします。イラクでの日本人人質事件が盛んに報道されている時は,その話題がよく聞こえてきていました。ことほどさように,この問題は日本人の注目を集めました。
 聞こえてくる話に耳を傾けてみると,その全てが,人質となった人たちを非難するものでした。「行っちゃいけないと言われているのに勝手に行っている」「自業自得だ」等々,いわゆる「自己責任論」を後押しするかのような発言の連発でした。恐らくこの発言というのは,たまたまそういう考えの持ち主が集まっていたわけではなく,広く日本国民に浸透した意見であっただろうと思われます。
 先日ある国会議員(元地方放送局のアナウンサー,つまりマスコミで生きてきた人。)の発言が,話題として取り上げられました。参議院の決算委員会で,この議員は,人質となった方々を「反日的分子」という表現を使って非難したのです。国の方針に逆らってイラクへ行ったことは,「反国家的」な行動だというのです。

 本来,
国際交流や国際貢献というのは,どのような形で行われるのでしょう。もちろんケースバイケースで一概には言えませんが,形としては「官」及び「民」の両輪で行われるべきものであるといえるでしょう。イラクで日本人の評価が決して低くないのは,単に同じアジアの国というだけでなく,この両輪がうまく機能してきた結果です。官は,大掛かりな資金を投入してイラクへの発展に貢献したでしょうし,民は,規模は小さいものであっても,実際の街に入って人々と直接交流することによって友情を作り上げていったことでしょう。
 官での支援の欠点は,両国の時の政府の考えによって活動が左右されるということです。それに対して
民の支援の利点は,どのような時代であっても人間同士の交流を深められるということです。このことから,正常な民主的国家であれば,時の政府に左右されない民での支援が重視されるべきなのです。

 ところが,今回の事件では,「自己責任論」が話題の中心となり,あたかも民での国際貢献が悪であるかのような論調が主流を占めてしまいました。もちろん「自己責任論」の全てを否定することはできません。しかし,
今回の自己責任論は,先に述べてきた民主主義国家における民による貢献そのものを否定することにつながります。

 また,今回人質なった方の中には,マスコミ関係者もいます。
マスコミの最大の責任は,「事実・真実を伝える」ことにあります。戦前の日本では,大本営発表のみが伝えられ,政府に都合の良い情報しか国民に知らされませんでした。戦後は,この反省を基に,政府の発表だけでなく,マスコミ自身の取材による情報が流されるようになりました。このことが,正に正常な民主主義国家そのものの姿です。
 ところが,そのマスコミで長年生きてきた某国会議員は,これまでの自身の立場を否定するかのように,反国家的な行動だと非難したのです。イラクで実際に起きていることを伝えるために入国し活動していたそのことを,反国家的と決め付けていいのでしょうか?官房長官や現地の自衛隊の指揮官の発表のみが伝えられるようになっていいのでしょうか?安全だとして政府が指定した場所だけでの取材で,果たして事実を伝えることができるでしょうか?
民主主義の根幹を否定するような今回の某議員の発言は,マスコミ出身者によるものだけにより一層怒りを禁じ得ません。

 今回主流を占めた
「自己責任論」は,政府関係者の口から出されました。国民の間から自然発生的に出たものではありません。なぜ政府関係者から出てきたのでしょうか。人質のことが取り上げられ,彼らのこれまでの活動や「民」による国際貢献が注目を集めるようになった場合,一番困るのは誰かというと,アメリカに盲目的に追随し,自衛隊まで派兵した小泉政権に他なりません。アメリカの攻撃により何の罪もない多くのイラク国民の命が失われていること,イラク国民が望んでいるのは自衛隊という軍隊での支援ではなく人的支援であること等々が明らかになると,小泉首相を中心として進めようとしていることへの逆風となる可能性が十分に考えられたからではないでしょうか。そこで,民による支援者,事実を伝えようとするマスコミ関係者を「悪者」扱いにした可能性が大です。
 そもそも今回のような人質事件が起きたのはなぜでしょう。確かにフセイン政権の圧制によりイラク国民が苦しんだという事実はありましたが,
元を糺せば正当な理由もなくイラクへ派兵したブッシュ政権と,それに迎合した小泉政権の失政によることが原因となっているのです。

 私たちは,ついつい表面上のことに捉えられ,そこに隠されている真実に目が向かなくなる時があります。そして,矛先を弱者に向けてしまうこともあります。今回のことは,その典型的な例といえます。幸い,国民の間で冷静な判断をする心のゆとりが生まれてきて,この自己責任論を見直す論調も出てきました。今一度自らの命を投げ打って訴えようとしている人々の声に耳を傾け,軍事力による紛争解決の是非,真の国際貢献について考えてみようではありませんか。何より,
現政権が血眼になって推し進めようとしている「憲法改正」(今回のイラクへの政策は,間違いなくこのことと連動しています。)の動きに対しても,今一度考えてみる必要がありそうです。
   
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