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平和の視点
     
負の連鎖
       
 今年も,9・11を迎えました。特に今年は,あの日からちょうど5年という節目に当たるためか,テレビで特番が組まれたり,9・11を題材にした映画が公開されようとしたりしています。

 テレビで放送された番組を観る(ただし,私はその全てを観たわけではありませんが・・・。)と,
ビル内外での人間模様が,様々な証言を元に展開されていました。それらを見るにつけ,テロに対する怒りが,直接関わりを持っているわけではない私自身に込み上げてきたわけですから,ましてやアメリカ国民にとっては,私の想像を超えるほどのものがそこにあることは明らかです。それだけでとらえた場合,テロに対する怒りはもちろん,イスラム圏に怒りの矛先が向かうことも,人間の悲しい現実として存在するのかもしれません。

 一方,イラクに代表されるイスラム圏の人たちはどうでしょう。このページでもこれまで何度か取り上げたように,大量破壊兵器が存在するという
いわれなき言いがかりをつけられて,イラク国民はアメリカの侵略を受けました。その侵略行為は現在も続き,これまでにいったいどれほどの尊い人命が失われたことでしょう。自分自身が負傷した人,自分の肉親が目の前で死んでいった人,自分の財産が奪われていった人,そうした様々な人間模様が,イラクでも展開されているのです。

 9・11でアメリカ国民はイスラムへの憎しみがさらに増大してイラク等への侵略を支持。アメリカの侵略でイラク等の国民はアメリカを憎んで様々なテロ行為。すると再びアメリカがイスラムを。するとまたイスラムがアメリカを。こうした
負の連鎖は,お互いが攻撃をやめない限り,もしくは攻撃できないほど壊滅的な打撃を受けない限り,いつまでも永遠に続いていくことになります。こうした負の連鎖は,洋の東西を問わず,これまで幾たびも繰り広げられてきています。この負の連鎖は,これからの私たち日本人には無縁と言えるでしょうか。

 小泉内閣では,その圧倒的支持の下,様々な改革がなされてきました。その改革のためには,小泉首相の言う
「痛みを伴う」ということをあえて国民は受け入れたのです。それもこれも,私たちの将来に希望をつなぐためでした。しかし,現実はどうでしょう。確かに痛みは生じました。その痛みは,誰が受けたのでしょうか。アメリカ型の能力主義が横行し,勝ち組と負け組という色分けがはっきりとしてきました。負け組はリストラされ,経済的に苦しくなってきています。「郵政民営化」により,それまで日本の津々浦々まで平等になされていたサービスがなくなり,地方切り捨ての状態になろうとしています。「障害者自立支援法」の成立により,障害者が自立への手だてを受けることができない状態に陥り,社会的弱者が切り捨てられようとしています。耳障りのいい言葉を並べ立て,一般庶民からも圧倒的支持を得た結果が,このような状態です。
 その小泉首相が退陣し,新たなリーダーが誕生しました。そのリーダーは,
「美しい国」を目指そうとしています。「美しい国」・・・何と素晴らしい言葉でしょう。その彼は,憲法や教育基本法を変え,戦争ができる美しい国をつくろうとしているのです。小泉首相と同様に,アジアの国々と敵対関係を維持しようとすることはあっても,友好関係を深めようとする姿勢は微塵もみられません。少なくとも,小泉首相は先の大戦の戦争責任は認めていましたが,新たなリーダーはそのことさえも否定するかのような姿勢です。これでは,友好関係が結ばれるはずがありません。内向きの愛国心を唱える以上,諸外国,とりわけ被害を受けた国々の理解が得られるはずはないのです。こうした姿勢で,果たしてこれまで守られてきた平和が本当に維持できるのでしょうか。
 戦争ができる美しい国は,すなわち
負の連鎖の中に入ろうとする美しい国です。内向きの愛国心では,絶対に負の連鎖から出ることはできません。本当にこうした姿を,我々日本人は「美しい」と思うのでしょうか。見た目の姿,声の柔らかさ,「美しい国」という言葉の響き,こうした表向きのことに目をとられ,内容に目をつむることをしてしまうと,小泉体制がつくった様々な矛盾を,さらに増幅させてしまうことになります。
   
過去ログ 教科書問題  有事法制  一度扉を開けてしまうと  いつか来た道

一人ひとりの行動を  免罪符  異質な国  ねじれ  元を糺せば


メッセージ  越権行為  存在意義  耳障り
    
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