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平和の視点
      
「できない」国から「できる」国へ
     
「有事法制」について考えてみませんか?
    
 今の平和憲法ができて50年を越えました。「平和な社会づくりを希求する」はずの日本が,今まさに「武力によって鎮圧された社会づくり」に力を入れようとしています。この動きが「有事法制」策定です。

 イラクのサウジ侵攻,アルカイダによるテロ,北朝鮮のスパイ活動及び日本人拉致疑惑等々,私たちはマスコミ等を通して様々な問題を耳にします。そして,そうした国々を「悪の枢軸」と呼ぶ圧倒的軍事力を誇るアメリカの動きも耳にします。そうした情報を何年間にもわたって見聞きしてきた私たち日本は,
知らず知らずのうちにアメリカ側をいわゆる「ウルトラマン」で,イラクなどの国々をいわゆる「怪獣」ととらえる様になってきてはいないでしょうか?そして,その怪獣を倒すためには,武力行使といういわゆる「スペシウム光線」を使うのは当然と考えてきてはいないでしょうか?

 平和憲法制定以来「平和を希求」する日本は,世界平和に向けてどんな活動をしてきましたか?あえて過去のことはとわず,今のことで考えてみましょう。小泉内閣は平和な社会実現のために国際的にどんな活動をしていますか?軍事的にアメリカに協力する施策はとっていますが,平和的解決への努力は微塵も感じられません。

 なぜイラクやアフガニスタン,北朝鮮などの問題が生じてきたのでしょう?一部のカリスマ的な人物がいるからでしょうか?何の理由もなく
カリスマが生まれるはずはありません。当然そういった人が生まれる土壌がそこにはあったはずです。この土壌をうまく改良することで別の動きをつくることができるはずです。これこそが私たち日本のまず進むべき道ではないでしょうか?

 アフガニスタンでの誤爆に代表されるように,
武力による鎮圧は,一時的には治まっても,根本的解決にはなりえません。むしろ新たな「遺恨」を生じるだけです。

 有事法制は,武力による鎮圧を受けた国が困るだけではありません。私たち
国民も様々な制約を受けることになります。自衛隊員だけでなく,一市民も直接戦争に加担しなければいけなくなります。私たち一人ひとりは本当にそういったことを望んでいるでしょうか?
 今,国会では有事法制立法化に向け着々と作業が進められています。にもかかわらず,私たち国民は,リストラ等日々の生活におわれ,全くと言っていいほどこの法律に関する議論がなされていません。こんな大事なことが,直接かかわりをもつはずの人たちそっちのけで決められようとしています。本当にこれでいいのでしょうか?
ここで,平和な社会づくりや有事法制についてもう一度一人ひとりが考えてみませんか?
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