トップ > 平和の視点(耳障り)
    
平和の視点
     
耳障り
       
 「戦没者をお参りすることで,平和を願う」というようなことが,小泉首相や安倍官房長官などの靖国参拝の大きな理由の一つのようです。平和を愛する多くの国民には,何とも心地よい響きに聞こえてきます。

 ところでこの小泉・安倍両氏は,靖国神社とは別に
戦没者を追悼する無宗教の国立追悼施設を建設することについて非常に消極的です。国が特定の宗教に肩入れすることは,憲法で厳に禁止されています。たとえ戦争で亡くなった方々を祀っているとはいっても,あくまでも神道という特定の宗教施設ですから,理由はどうあれ憲法に抵触することになります。実際,大阪高裁等で首相の靖国参拝を違憲とする判例が出されています。こうしたことを考えると,無宗教の国立追悼施設をつくった方が,憲法の側面からも,そして近隣諸国の人たちへの配慮からも,何ら支障が出ないことは誰が考えても明らかです。にもかかわらず,なぜかあくまでも靖国神社にこだわろうとするのです。これはなぜなのでしょう?そこには,口に出さなくても,心の内には理由があるはずです。

 その内なる理由を考えた時,現実問題としては,選挙ということがあるかもしれません。遺族会は,自民党にとって大きな支持母体の一つです。靖国をないがしろにすることは,遺族会の反発をかうことになり,たくさんの票を失うことになりかねません。もしこれが理由の一つであるとするなら,一党のために憲法をないがしろにし,アジア諸国との外交問題を発生させるようなことは,あってはならないことです。

 やはり考えられることは,
憲法"改正"とリンクしているということです。自民党は,愛国心を強調した新憲法を提起しています。そこに流れている考えは,憲法9条を廃止し,「国際協調」という何とも耳障りのいい言葉を表に出しながら,戦争ができる国づくりをしようとするものです。戦争をする際には,人々の考えを大きく束ねる必要があります。「国のために死んだ者は,神になれる」という思考回路は,そうした時に重要な役割を果たすことになるでしょう。
  「国際協調」といいながら,実際には,
アメリカ追随政策がとられているのが小泉内閣です。そこには,アジアという視点が全くと言っていいほど欠落しています。なぜ日本を戦争ができる国にする必要があるのか。それは,日本がアメリカの軍事政策にとってなくてはならないものだからです。地図を見れば明らか。アメリカは,太平洋を挟んで,中国や北朝鮮と向かい合っています。位置的に離れているとはいえ,アフガニスタンやイラク等のイスラム諸国と東という方角で向かい合っています。その防波堤になるのは,一番東にある日本です。防波堤が戦争を放棄していたのでは困りますし,戦争に関する価値観を統一する必要もあります。やはり,将来を見据えた時,靖国は軽んじることができないのです。また,靖国を重視することは,アジア諸国の感情を逆なですることになりますが,それよりも,アメリカと協調してやっていくんだという日本の意志を,アジア諸国に暗に伝える(プレッシャーをかける?)ことの方を重視しているとも考えられます。

 「改革」ということを前面に出して,先の衆議院選挙で自民党は圧勝しました。そこには,「小泉さんなら,これまでのしがらみにしばられることなく改革してくれるだろう」という期待感があったのだろうと思います。しかし,それはあくまでも
「改革してくれるだろう」でしょうし,「改革」という耳障りのいい言葉が心に響いていたのだと思います。
 小泉首相の「改革」とはどんなものですか?どのような考えに基づいた「改革」ですか?外交における「改革」は,本当に「国際協調」を主軸としたものでしたか?国内における「改革」は,国民一人ひとりを大事にするものでしたか?"勝ち組"優先になっていませんでしたか?大都市などの恵まれた環境にいる人はもちろん,地方に住む人たちも大事にするものでしたか?小泉首相が固執した「郵政民営化」は,地方を大事にしていますか?

 小泉首相の素晴らしいところは,雰囲気作りの上手なところです。核心に迫られると逃げの姿勢を見せてオブラートに包み,上手においしそうな部分だけを見せます。国会での答弁や遊説先での演説などにおいては,人々が心地よく感じる言葉を並べ立てます。風貌もどことなく味があります。こうした人物は,小泉首相だけでなく,これから先も出てくるでしょう。
その場の雰囲気に流されて選択してしまい,あとで大きな宿題を背負うことになるということは,私たちの暮らしの中でもよくあります。ちょっとしたことであれば取り返しがつきますが,国の政策となったら別です。やはり,言葉や行動の裏にある部分まで見てみて,その結果で物事を選択すると言う姿勢が何よりも重要でしょう。

(追記)靖国参拝を認める人々がいることも,もちろん否定できません。しかし,その中の一部(多く?)には,「中国や北朝鮮などが反発するから」参拝を認めるという
"誤った"ナショナリズムが存在しているのではないかという気がしてなりません。本当にそれでいいのだろうか・・・。
   
過去ログ 教科書問題  有事法制  一度扉を開けてしまうと  いつか来た道

一人ひとりの行動を  免罪符  異質な国  ねじれ  元を糺せば


メッセージ  越権行為  存在意義
    
トップ > 平和の視点(耳障り)