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アメリカのブッシュ大統領が,イラク戦争の終結を宣言しました。多少の戦闘は起こるかもしれませんが,これでイラク復興に向けての活動がさらに本格化していくことになります。 米英のイラク攻撃の際には,世界中の反対運動が起きました。しかし,根強い反対運動はあったものの,次第にトーンダウンしていったという側面もなくはなかったと思います。とりわけフセイン大統領の銅像が倒されるという象徴的な場面を見て以後は,「これでイラク国民は解放された」という印象をもち,「米英の攻撃は正しかったのでは」という錯覚に陥ってしまったような印象です。果たしてそれでいいのでしょうか? 今回の米英による攻撃は,イラクが「大量破壊兵器を開発・所持している」「テロリストとのかかわりをもっている」との理由から始まったものです。その理由に対して世界各国は疑問をもちましたし,仮にそうだとしても国連が中心となって平和的に解決しようとする意見が大半を占めていました。にもかかわらず米英は,武力による解決という方法をとりました。 終結宣言をした今でも,大量破壊兵器は一つも見つかっていません。仮にイラクが大量破壊兵器の開発を行っていたとしても,証拠がない以上「疑わしきは罰せず」という大原則があるはずです。今回の攻撃は,「疑わしきは罰せよ」という新たな理論を構築したことになります。 9・11以来,アメリカはテロに怯えています。確かに,あの事件はアメリカだけでなく世界中を恐怖のどん底に陥れましたし,テロは断じて許されるものでないことをあらためて確認しました。この事件をきっかけに,テロを事前に防ぐという方針をアメリカは強烈にとり始めました。イラク攻撃は,その表れの一つです。ところが,今回テロリストとのかかわりを示す証拠も見つかっていません。つまり「自国が攻撃される”可能性”につながると思っただけで戦争を仕掛けてもよい」という理論を構築したことになります。 冒頭に書いたように,銅像を倒すシーンを見て以後,「イラク国民が解放されたからいいじゃないか。」と思われる方も少なからずいらっしゃると思います。また,「考えすぎじゃない?」と思われる方もいらっしゃると思います。しかし,今回のことはそうした新たな理論の前例となりますし,今回の攻撃を認めるということはその新たな理論も認めることにもなるのです。つまり,新たな理論に”免罪符”を与えたことになるのです。 また,イラク国民は本当に解放されたと考えていいのでしょうか? |
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イラク戦争は,やはり「解放のための戦争」ではありません。正しい戦争でもありません。ましてや世の中に「正しい戦争」なんて存在しません。 日本は米英の攻撃を支持しました。つまり,イラク国民からすると日本は戦争を仕掛けたメンバーの一人となったのです。もっといえば,新たな理論の構築者の一人となったのです。確かに小泉首相を中心とする現政府が判断したことではありますが,その人たちを選んだのは私たち国民です。現政府を支える政党に過半数の議員を与えているのも国民です。やはり,私たちも今回の攻撃の一端を担っているのです。 現政府は,有事立法に再度着手しています。イラクや朝鮮の動きが大きく関係しています。今回の戦争を見直したとき,戦争へと突き進むのがいかに愚かなことかを再度確認できたはずです。有事立法は,戦争への免罪符を与えるものです。私たちは,主権者としてやはり厳しい目をもっていかなければなりません。 |
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