第1章 家を建てるつもりはなかったのに
第2章 メーカー選びは難しい
第3章 いよいよ契約、あともどりはできない
第4章 土地を探して行ったり来たり
第5章 設計は大混乱
第6章 着工しちゃった
第7章 ついに新居・・・いいのかな
第8章 住んでみて、はじめて気づく
第1章 家を建てるつもりはなかったのに |
家を建てるなんて思いも寄らなかった。でも建ってしまった。というのが現実です。田舎にいると、家を建てると言うことはとてつなく骨の折れる大事業のように言われます。でも正直な感覚でいうと、そうまで大変なことではありませんでした。それは、ハウスメーカーで建てたからです。そして、田舎のめんどうくさいしきたりを省かせてもらったからです。 とにかく、家は建ってしまいました。それは、1996年8月から始まります。 <1996年8月> 家を建てることが一生の夢だという、うちの奥さんは言います。そんな口車にのることなく家はいらないと、ずっと言ってきました。本当にそう思っていました。アパートなら古くなってもすぐ新築を探して引っ越せる。メンテナンスもいらない。家の周りの草取りなんか心配しなくていい。どうしてわざわざ古くなる家を建てなければならないのか。まあ買うんだったらマンション止まり、話はいつもここで終わっていました。 家を見に行きたい、そう言われてTOSの住宅展示場に行ったのが始まりでした。大きな大きな非現実的なモデルハウスの建ち並ぶ展示場です。いくら家を建てる気がないと言っても、やはり惹かれてしまいます。御影石に黒光りする玄関、広くてゆったりとしたリビング、キッチンやバスもなんともゆったりとしています。モデルハウスは広さが命です。階段や踊り場などどうしてこんなにというくらいスペースをとっています。実際にこんな広くてムダな空間のある家は建てないとメーカーの人は言いますが、何よりこの広さと、ムダさ加減に惹かれてしまうのです。このあとウインヒルという大分市のはずれにある新興住宅地に家を見に行ったのですが、さすがに現実を思い知らされました。使っている材料や階段の幅ひとつとってもやはり現実はこんなものと思わせるに十分でした。 TOSやウインヒル、アルプなど大きな住宅展示場をはじめ、広告に載っている入居前の新築物件見学会などこれを機に毎週のように見て歩くようになりました。そんな中で徐々に家を建てるという暗示をかけられていったのです。もう建てたくないとは言わせないという意気込みです。雑誌や本も次々と買い込み、見学会でもらったカタログもだんだん重たくなっていきました。実家の事情なども折り合いがつき、家を建ててもよい条件がだんだん整っていきました。 家を建てるときに問題になるのが、大工さんや独立した地元の工務店で建てるのか、全国フランチャイズのハウスメーカーで建てるのか、ということです。大工さんの場合、当たり外れが大きい、特に知り合いの大工さんもいない、メーカーならいっさいお任せであれこれ手続き等の心配がない、メーカーのほうが安心度が高い(個人的な先入観です)、ということで、うちの場合ハウスメーカーで家を建てようということに決まりました。 職場も、実家も田舎の私の周囲には、ハウスメーカーで家を建てようという人は少数派です。手数料などムダな出費が多い、どんな粗悪な部材を使っているかわかったもんじゃない、昔ながらの和風建築が一番だ、そんな考えが多いのです。 年齢に関係なくそんな声を多く聞きました。どちらがいいとは一概に言えませんが、ハウスメーカーに対して偏見を持っている人が結構いるんだという実感を持ちました。 <1996年9月> ツーバイフォーという言葉は聞いたことはあるが、何の事やらわからない。家はみんな柱で組むものだ。コンクリートの打ちっ放しがカッコいいなあ。家の工法については、この程度の認識しかありませんでした。あんなにモデルハウスを回っても外見、中身の豪華さに惹かれるだけで、どうやって作るんだということは全く頭にありませんでした。家を建てるのもいろいろな工法があるんだということを知ったのがこのころです。
だんだんとメーカーハウスに肩入れする文章になってきました。しかし、この段階では土地もなく、資金計画もなく、ただいつになるか分からないがとにかく建てるために、しっかりと研究するんだという姿勢が固まってきたのでした。私はいつも何か新しいことをするときは、ひたすら雑誌や本をあさって、よしわかったぞという段階になるまで調べるという癖があります。そこで今回も気づくと雑誌がたまっているという状態になりました。参考までにこのころ買っていた主な雑誌をあげておきます。
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