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男声合唱団豊声会 2001年 演奏会

              と き/2001年11月30日(金) 午後7時開演
         ところ/大分県立総合文化センター  音の泉ホール
            指揮:土谷 正公    ピアノ伴奏:二宮 圭子 
  主催/男声合唱団 豊声会
  後援/大分県・大分県教育委員会・大分県芸術文化振興会議・大分県民芸術文化祭実行委員会・大分県合唱連盟
       日本男声合唱協会・大分合同新聞社 ・NHK大分放送局 ・OBS大分放送 ・TOSテレビ大分・OAB大分朝日放送
       エフエム大分

2001 年 演 奏 会 プ ロ グ ラ ム
ステージ 演       奏       曲
第1ステージ  外国の愛唱曲より
 1.いざ起て戦人よ 2.権兵衛が種まく 3.源兵衛さんの赤ちゃん 4.野ばら 5.希望の島 6.アニーローリー
第2ステージ  日本の愛唱曲より
 1.七つの子  2.赤とんぼ  3.からたちの花  4.武蔵野の雨  5.雨  6.荒城の月
第3ステージ  男声合唱曲「永訣の朝」 
 作詞/宮沢賢治  作曲/鈴木憲夫  
第4ステージ  男声合唱組曲「石橋の町」  作詞/佐々木均太郎  作曲/石井 歓
 第1章 飛沫の精    第2章 龍女ときざはし    第3章 石橋の故里    第4章 石楠花を讃う

ステージに寄せて 第3ステージ 男声合唱曲「永訣の朝」 
  「永訣の朝」       詩集「春と修羅」より
  宮沢賢治の2歳年下の妹トシは、1922(大正11)年11月27日、24 歳の若さで亡くなりました。この最愛の妹トシは、賢治にとって故郷や家族の中で たった一人の理解者でした。重い肺結核を患ったトシを看病するために、賢治は東京の生活を捨て花巻に帰ってきます。高い熱にあえぎながら「雨雪が食べたい」というトシのために、賢治は松の枝に積もった雪を陶椀にとってきて食べさせます。
  「永訣の朝」は妹トシを失った強い衝撃・深い悲しみ・苦しみから生まれた絶唱であり、壮大な挽歌でもあります。トシは、この詩のなかでは「とし子」となっていますが、これは最愛の肉親との永訣の悲哀を、全ての死者との永久の別れの悲しみに昇華させているものと理解されます。このことは、賢治が信仰してやまない法華経の人生観にもとづく彼独特の死生観なのかもしれません。

この詩には、岩手の風土に根ざした方言が効果的に使われています。
 ●(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
 ・雨雪を取ってきて下さい
 ●(うまれでくるたて こんどはこたにわりゃのごとばがりでくるしまなぁ よにうまれでくる)
 ・また人に生まれてくるときは、こんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきます。
 また、独特な用語や表現が出てきます。
 ●みかげせきざい
 ・御影石の庭石。
 ●二相系
 ・「みぞれ」が固相(雪)と液相(水)の二相からなる状態。
 ●(Ora Ora de shitori egumo)
 ・私は私で独りで行きます。
 ●兜卒の天の食(とそつのてんのじき)
 ・兜卒天に住む弥勒菩薩の食べ物。それが衆生済度の弥勒の意志の源となる。
 初出では天上のアイスクリーム。
 ●聖い資糧(とうといしりょう)
 ・現世・来世の区別なく、生きていくための清らかな元手と食べ物。
2001年演奏会のプログラム プログラムより

2001年演奏会当日のアルバム
午後3時 直前練習は体操から 発声と最後の練習 出入りもチェック 中央は舞台監督 軽めの夕食で一息
第1ステージの開始 最初は緊張気味でしたが、徐々に落ち着いた演奏が・・・・・ 第2ステージのバスパート
第3ステージは、2001年演奏会のメイン男声合唱曲「永訣の朝」 並び方も工夫しました ピアノもよく響いています
第4ステージは、男声合唱組曲「石橋の町」  30周年記念演奏会に初演して以来豊声会のレパートリーに定着しました
アンコールは、「最上川舟唄」で会場を盛り上げました





BGMは瀧廉太郎作曲「お正月」
MiDi音源入手先は、
まおの相談室からです
http://web5.freecom.ne.jp/~maotty/

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