『九州の薩摩藩と人吉藩では、かつて一向宗が禁じられ、三百年もの間、強烈な弾圧が行われた。その嵐に耐えて守り抜かれた信仰、それが「隠れ念仏」である。東北には、信仰を表に出さず、まるで秘密結社のように守りつづけた人びとがいる。取り締まりを受けながらも、「隠す」ことで結束した信仰、それが「隠し念仏」である』
歴史は為政者の視点で見てしまいがちだが、貧しさの中で信仰を捨てずに殉教する知られざる庶民の歴史もある、と五木さんは言う。親から子へ、孫へと脈々と受け継がれてきたもの。日本人のこころ<和魂>がそこにあるのかもしれない。
日本人は「米を食べる単一民族」と単純に考えていいのか。中央がコントロールする「ひとつの日本」ではなく「いくつもの日本」。「隠れ念仏」「隠し念仏」の存在は全く知らなかったが、そういう世界が日本にあった(ある)ことに感心した。ただ、
信仰や文化を守ってきた地方社会も戦後の急速な経済発展で壊され、変わっていったのだが。
(講談社 五木寛之 こころの新書、838円+税)
|