『四国の何にひかれるのか。古代からの信仰にもひかれるし、遍路の文化にもひかれる。こころの垢を洗い流したい、心身の衰弱しつつあるものをよみがえらせたいと思う。あれこれのことを頭で考える習慣を見直し、体で感じることを大切にしたいとも思う。…そこにどんな意味があるのかは、歩きながら感じ取ってゆくほかはない。そのあたりまで思いが進んだところで、ことんと眠りについた。私の歩き遍路はこうして始まった』
筆者は朝日新聞の天声人語を担当していた元記者。退職後60代後半からの歩き遍路をいくつかの「動詞」をキーワードにしてまとめている。しきりに「誘う」ものがあり、太古の人間にもどって「歩き」、群れから「はぐれ」、日常の暮らしを「突き破る」、「迷う」ことを恐れず、何かを「捨てる」ことで、心の垢を「洗う」…
遍路をした人が感じることができることなのだろう。ただ歩くという行為を繰り返す毎日の中で、人間本来が持つ自然の力を得る。それは日常のしがらみを「捨てる」ことで可能になるのだろうか。誰にでも「捨て」たいものがあるだろう。「捨てる」ことは簡単ではないだろうけど。
(岩波新書、780円+税)
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