『私に言わせれば、「改革」が思ったように実らないのは、そもそも日本のための「改革」ではないからだ。…IT革命であれ、会計基準の「国際標準化」であれ、特殊法人の「改革」であれ、それらのすべてが、実は唯一の「名医=米国」のためにこそ行われる対症療法である。そこには、本来の患者=日本に対する哀れみの情などまったくない』
米国にほ非民主的な「奥の院」がある。「軍」「情報機関」「パワー・エリート」。それら「奥の院」の意思に沿う形で日本から「国富の移転」を進められている。「構造改革」によって、日本が本来持っていた「情報の非対称性」を失い、米国に筒抜けになっていく。「グローバル化」とは日本の企業の内部に海外からアプローチできるようになること。
「IT革命」はどうか。インターネットに流れる情報を米国が全て握っている可能性がある、と筆者は言う。日本人一人ひとりの情報がインターネットを利用することで丸裸にされているとしたら恐ろしいことだ。
「改革」という言葉はプラスのイメージで語られるが、本当に日本にとって必要なのか、プラスの結果を生むのか考えなければならない。丸裸にされ、そうと知らぬまま米国に操られる日本。あり得ない話ではない気がする。
(ちくま新書、820円+税)
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