陽光荘のお風呂

 陽光荘には本館と別館があり、100m ほど離れていますが、以下のお風呂(掛け流し式・塩化物泉)があります。本館と別館のどちらのお風呂も追加料金なくご利用できます。(なお、お風呂は午後11時以降はお掃除をさせて頂いて翌朝7時からご利用できます。)

 1. 本館のお風呂:2カ所のお風呂が「男女交替制」でご利用できます。

大きい方のお風呂
男性用となる時間帯:午前7時〜10時・
正午〜午後2時・
午後4時〜6時
午後9時〜11時

女性用となる時間帯:午前10時〜正午・
午後2時〜午後4時・
午後6時〜9時

小さい方のお風呂
女性用となる時間帯:午前7時〜10時・
正午〜午後2時・
午後4時〜6時
午後9時〜11時

男性用となる時間帯:午前10時〜正午・
午後2時〜午後4時・
午後6時〜9時


 2. 別館のお風呂:(本館から徒歩5分)無料で家族湯として利用できます。


岩風呂
(「家族で使用中」・「女性使用中」の札を掛けて、
施錠して利用できます。)

浅めの小浴場
(「家族で使用中」・「女性使用中」の札を掛けて、
施錠して利用できます。)

露天風呂
(「使用中」の札を掛けて利用できます。)




(ご参考)「別府今昔」(是永勉 著 昭和41年発行)より引用

 「蒸し湯」:(注、「蒸し湯」という名称の市営共同浴場のことについてです。)
「鉄輪温泉場の中心は"蒸し湯"だった。現在も地形的には中心だが、石ころのごろごろした坂道をのぼって入湯客が鉄輪までわざわざやってくる目的がこの蒸し湯に入るためだったので、昔のにぎわいはたいしたもの、一度に16人しか入れない石室の蒸し湯にはいつも順番を待つ人たちが長い列をつくっていた。」

「遊びではなくて蒸し湯での治療が目的の入湯客たちは1日に4、5回も入るので、春先の多客シーズンになると待ち時間が3時間くらいかかった。」


 「鉄輪温泉の起源」:
「昔の人にとって火山が爆発したり、地獄がふいたりするすさまじい天変現象は大きな恐怖だった。それだけに鉄輪温泉にも宗教との結びつきが数多く残っているが、建治二年(1276年)一遍上人がやってきて、どこもここも熱湯が自然にわき、地獄の音が恐ろしいほどとどろくこの一帯を、温泉場らしく手入れしたといわれている。」

「別府一帯の温泉が昔は全部が露天ぶろから始まっていたことを考えると、一遍上人も、そこらあたりの石を積みかさねてお湯の池をつくった程度と思われる。しかし足のふみ場もないほどの危険な地獄原の中の安全と思われる場所に、病気によくきく温泉場がつくられ、それが”元寇の役(げんこうのえき:1274年から1281年)”の大戦争のあと、傷病兵士の治療地として大きな役割りを果たしたと伝えられている。」


 「地獄原」(じごくばる)
「明治時代、現在の双葉荘(注、陽光荘のお隣りの貸間旅館です。)の近く一帯が地獄原といわれて粘土のような土地のどこを掘っても噴気がふいた。こどもたちは1メートルばかりの青竹を土に突っ込んで噴気の穴をあけ、吹き出す噴気に近所の豆畑からとってきた大豆の枝を煮てたべたりした。サツマイモ畑からイモをとってきて蒸しイモにすることもあった。」

「明治時代に少年時代をおくった人たちの遠くたのしいこのような思い出も、いまは新しいホテルや旅館の地下に埋もれてしまった。地熱を利用してキュウリの促成栽培を考えた郵便局長の佐原秀太郎(注、陽光荘の現経営者佐原志津子の父です。平成5年まで鉄輪郵便局の局舎は陽光荘の1階にありました。)が、寒い冬にみごとなキュウリを作りあげたが、あまり売れゆきがよくなくて2、3年で中止したこともあった。」


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