釣り随想


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  作品群;
 引き潮・釣れない日秘密会談・蛸の足・初釣り・究極の刺身・放流・
 天気予測・禁句・若潮


 引き潮

 地平の弧を舐めるように夜の帳が下り始めると、薄雲が街の明かを
映し出す。目には見えないがとてつもなく大きな引力という作用が、
堤防の石段を少しずつ露わにしてゆく。ふじつぼは最後のひと潮を咽
喉ふかく呑み込んで、眠りに就いた。
 潮が引くにつれ、海底のようすも判明し始める。潮に乗って浮遊し
ていた浮きが突然止まり海中に引き込まれる。魚信と素早く竿を立て
ると、決まって根掛りしていたのは、前方にある背の高いほんだわら
の仕業だったし、小魚が浮き出てきては身を潜める砦は、あの大岩な
のだ。凶暴な捕食者が侵入して来ても、一斉に砦へ逃げ込むことしか
知らない平和主義者たちの巣窟だ。大岩の周囲は清掃が行きとどき、
広場が作られている。そこで小魚たちは日を決めて何事か、議決する
のかも知れない。
 凶暴な捕食者、ここではスズキが筆頭だ。恐れを学んでいない小魚
が海面に遊びに出るのを待ち構えたように、背鰭が鈍い音を響かせ海
面でぐるりと一転し、ひと呑みする。小さな哀しみの輪が堤防の際ま
で寄せてくる。時には大胆不敵にもスズキはわたしの足下までやって
きて「釣りあげてみよ」と兆発する。わたしはいつもその兆発に乗
り、勝った試しがない。己の姿を間近に見せる生物、それが蝶であ
れ、蜂であれ、魚であれ、彼らはそれなりに警戒しているのだ。それ
を上回る技量も知恵もわたしにはない。幾度黒星を重ねたとしてもさ
らに重ねるとしても無意味さを感じず、まえにも増してわたしの心は
高ぶるばかりだ。
 潮が引くのは満ちてくるときより、速いように思われる。満ちてく
るときは海底のようすが見えなくなるばかりで、引き潮は少しずつ全
体が明らかになってくるから、なおさら引き潮には加速がかかってい
るように思える。
 すでにスズキの挑戦の場は干上がり、さっぱり釣りはできなくな
る。ベールに包まれていた海底のようすが判明することは興ざめでも
ある。
 心当たりの深みポイントに車を走らせるか、今夜は店じまいとする
か。いずれを選択するか、早急な判断を迫られている。



 釣れない日

 釣り人は言い訳が好きである。そして釣りには言い訳にこと欠かな
い材料がたんとある。「潮が悪かった」「風が吹いてね」なんてのは
序の口で、時には「魚がいなかった」と海底を覗き込んで来たかのよ
うに言う。自然が相手であるから何とでも言える。それが自らを慰
め、次の活力になる。
 釣り人は思う。海の底を覗いてみたいものだと。自分の餌の周りに
はどんな魚が寄っていて、何を考えているのだろうかと。早くぱくり
とやってくれよと。
 釣り人は考える。釣れると聞いて来たのに一向に釣れないじゃない
か。ちょっとばかり場所が違うのかな。浮き下は合っているのだろう
か。いやいや餌はやっぱりアレがよかったのだ。それにしても、釣れ
る日と釣れない日が前もって分かればなあ、と。そうやって短い休日
が海の前で終る。
 ああー、気持ちよかったなあ。釣れなくてもこうやって一日を過ご
すことができてホント、よかった。
  帰路。釣り人はまた考える。釣れる日と釣れない日が前もって分か
ればなあ、と。



 秘密会談

 堤防で釣っていると、さわさわと羽音をたてて、鶴が一羽舞い降り
て来た。わたしから数歩も離れていない所に突っ立って、わたしのウ
キを眺めている。

 まだ熊本で勤務していたころ、やはり夜釣りで、やっと釣り上げた
掌ほどのクロダイを竿先から地面に降ろしたとたん、潜んでいた野良
猫に横取りされたことがあった。魚にはまだ針と糸が付いていて、銜
えて走ったとたん、わたしは防御的に竿を引っ張ったので野良猫は、
ムギュ、と嫌でもわたしに顔を向けた。おそらくその時、野良猫は初
めてその魚が天の恵みで降って来たのではなく、きちんと持ち主のあ
る由緒正しい魚であることに気付いたはずだ。しかしその猫が普通の
猫と違っていたところは、それでもなお、獲物を手放さないという根
性の持ち主であったことだ。さらに驚くべきことには、魚の口から瞬
く間に針を上手に外すという知恵まで備わっていたということだ。や
っとの釣果を横取りされた悔しさより、あのように優れた猫が隠遁の
生活を送っているという口惜しさ、それはなぜかすがすがしい気分に
変化して、いつまでもこころに残った。

 鶴もやはりわたしの魚を狙っているのだろうか。針を外す技能をも
持ち合わせているのだろうか。わたしは「フィイ、フィイ」と唇を尖
らせて鶴に合図を送りながら、鶴との距離をいっそう縮めた。気味悪
がってもうひとつ沖の堤防に飛んで行ってくれるもよし、紳士協定を
結んで、人の物には手を出さないことにしてくれれば、一緒にウキを
眺めていましょう。ウキが沈んでもそれはあなたには関係のないこと
であって、魚が掛っても掛らなくても、あなたは喜ぶ人ではなく、わ
たしを真似て落胆する必要もない。何時間でもそこに突っ立っている
のはあなたの自由であるが、腹が減ったら、自発的にどこかへ移って
くれ。それからな、そんなに見損なった眼差しをわたしに向けないで
くれ。眼を囲んだ黒色の羽毛が一段と眼を鋭く見せる。

 わたしは夜釣りではいつも青ケブというミミズに似た餌を使うのだ
が、どういう虫の知らせか、その日は冷凍エビを持って来ていた。そ
れも沢山持っている。そこで型の崩れた小さなエビを選り、鶴の足下
に放ってみた。波の音も風の音もない綿毛のような闇になかに、ほと
り、と空気が振動し、鶴の嘴が、ぴっ、と地面を向いた。そして毒入
りとも針付きともまったく疑うことなく、ひと突きで食べた。  わ
たしは幾度か投げやった。鶴にもプライドがあるらしく、そのたびに
迷惑そうな視線をわたしにくれて、しかし「親切は受けるわ」なんて
繰り返しながら、ひと呑みだった。極上の夜食にあやかって、内心ほ
くほくしていることはわかっている。

 体色はナベヅルそっくりであったが、それは少し背の低い、首も脚
もいく分短めのアオサギと思われた。なんと人慣れしたアオサギであ
ることか。あるいはこの鳥だけ特別肝の据わった鳥なのか。

 わたしとアオサギはぴくりともしないウキを沖へ沖へ漂わせながら
一時間ほど、長く冷たい誰もいない堤防の上で過ごした。話しも沢山
した。
 どんな話しをしたかは、アオサギとの約束で、秘密にしておかねば
ならない。

 写真;http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%B5%
E3%82%AE&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq= より
全長88-98cm。翼開張150-170cm。体重1.2-1.8kg。上面は青みがかった灰色の羽毛で被われている。
アオサギは、アフリカ大陸、ユーラシア大陸、イギリス、インドネシア西部、日本、フィリピン北
部、マダガスカルに分布している。夏季にユーラシア大陸中緯度地方で繁殖し、冬季になるとアフ
リカ大陸中部、東南アジアなどへ南下し越冬する。アフリカ大陸南部やユーラシア大陸南部などで
は周年生息する。日本では亜種アオサギが夏季に北海道で繁殖し(夏鳥)、冬季に九州以南に越冬
のため飛来する(冬鳥)。本州、四国では周年生息する(留鳥)。=http://ja.wikipedia.org/
wiki/%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%B5%E3%82%AE;ウィキペデア・フリ−百科事典より


 蛸の足

 立春を過ぎて暖かい日が続いた。居ても立ってもおれないようすで釣り友
のMさんから電話が入った。
「もういいでしょう。いつ行きます?」
「海のなかはまだ真冬ですよ。でも行ってみますか」
時期早々とは思っているが、わたしもうずうずしていたところだ。気合いを入
れて明朝8時に港で待合わせをする。わたしは6時、Mさんは5時過ぎには
起床せねばならないが、気温が少し上がったことで辛さは感じない。

 釣果は集まったどの船も思わしくなく、一日かけてわたしもMさんもアジ2
匹だったが、かれは大蛸を釣りあげていた。
「半分あげるよ」
大蛸だけに嬉しい。
「じゃあ、わたしのアジ、あげますよ」
わたしは吸い付いて抵抗して来る蛸の頭を裏返しにし、内臓を取り除き、足
を4本と4本左右に分け、そこから真っ二つに切り取った。

 蛸は塩もみでぬめりを除いたあと軽く茹でて半生の蛸刺しが晩酌に最高
だ。こんなに大きいと足2本で十分だ。残りは冷凍しておけば半年でも1年経
ってもタコ焼きでもチャンポンの具材でも使える。保存性がいいのも蛸を釣
ったときの喜びのひとつだ。

 近くで釣っている船から会話が聞こえてくる。釣れているときは歓声ばかり
が聞こえてくるが、釣れていないときはぼやきの声だ。
「宮崎では口蹄疫やら鳥インフルエンザやら大変やが、魚だけはインフルな
んて、聞かんなあ。魚が一番風邪ひきそうやが。毎日、泳いでなあ」
うまいこと言う。
 帰路も運転しながら、何度も思い出し、ひとりほほ笑んだ。
 
 蛇足;真っ二つに分けたはずの蛸の足、わたしの方は3本だった。
     以後、このような失敗は許されぬ。



 初釣り

 Мさんと釣りの約束をしていたから、午前7時にぴたりと目が覚めた。初釣
りである。天候は良好。風はわずかに木の葉が揺れる程度である。約束の
時間は港に11時だから、10時を過ぎて自宅を出発すれば間に合うのだが、
年末に持ち帰っていた竿とリールの手入れができていない。小物入れの整
理もしておきたい。使い古した歯ブラシに水をかけながらリールの汚れを落
としていると
「今から出る。港には10時ころには着きます」
と連絡が入る。シナリオが1時間狂ってしまう。道具の手入れはそこそこに
朝食を済ませる。弁当の代りにバナナを2本、バッグに突っ込んだ。

 港に着くと係留している船には北西の強い風が当たり、激しくローリングし
ている。堤防から向こうは白波が立って、とても出港できる状態ではない。
「なんとまあ」
わたしは2秒を待たず諦めた。まもなくМさんがやって来て、車から降りるな

「ああ。こりゃだめだ」
彼は1秒で諦めた。 
 彼はよく野菜を持って来てくれる。友達の土地を借りて作っているそうで、
大根、赤かぶ、白菜、サニーレタスが入った大きな袋をまた戴く。お陰で我
が家は野菜には不自由しない。ありがたい。
「どうします?」
「さぶいなあ。帰ろ」
「餌あるから風の当らないところへ行ってカレイでも釣りませんか」
瞬時、目の玉の動きを止め、こころを動かした彼であったが
「カレイもさぶかろ」
カレイの気持ちがわかったような顔をして、さっさと帰ってしまった。
                           
 漁師さんに聞くと
「この3,4日、地風(北西の風)が強いで。朝の網揚げがでけん船もあったそ
うじゃわ」
と言う。漁協の競りも出荷が少なく連日高値を付けているそうだ。わたしは
頭上を舞う鳶(とんび)の姿を目で追いながら風が治まらないものかとしばら
く待つことにした。3,4日も続いているなら、そろそろ凪いでもいいではない
か。それは1時間後のことかも知れぬ。
 鳶はわたしを狙っているのか、わたしの頭上をしきりに舞っている。普段
見ることのできる唯一のタカ科の鳥だ。空中を輪を描いて悠々と飛び、獲物
を見つけるやさっと降りてさらってゆく。鳶に油揚げを、の諺でお馴染みだ。
               
 いつだったか、仕事が遅くなって近道に神社を歩いているとき、梟(ふくろ
う)から頭をかじられそうになったことがある。ふわりと梟の両足の爪が頭髪
をかすったのだ。背の低さが幸いしたのか、かじられはしなかったが、木の
上から見ていると、黒くずんぐりした生き物がもこもこ歩いているのは、あた
かも格好の餌に見えたのだろう。いま、鳶にはどう見えるのだろう。やい鳶、
「ぴいひょろろ」と鳴いてみろ。
 わたしは鳶の攻撃を警戒しつつも、遠く白波を眺めながらひとつのことを
考え始めていた。それは船で沖にいるとき、津波がやって来たらどう対処す
べきか、ということだった。
                        
 波高10m。時速20kmでやって来ていると仮定しよう。わたしは陸から500
m離れた水深30mの沖合いにいる。「番の瀬」といってその辺りがいつもの
わたしのポイントだ。津波を認めた時点で津波がわたしよりさらに2q沖に
あったとしよう。津波は6分で船までやってくるからアンカーを上げ岸に逃げ
帰る時間はない。アンカーを上げるには10分は必要だ。アンカーを捨てる手
はあるが、できればアンカーは次の釣りのためにとっておきたい。解決策は
ある。わたしは20分まえに津波を発見しておけばよいのだ。アンカーを上
げ、岸に着き車を発進させるには充分である。ただ問題なのは20分まえと
いうことになれば津波は7q沖合いにあることになり、10mの高さが見える
かどうか。わたしは双眼鏡を片手に釣りをやらねばならない。そんなことで
きやしない。とすると逃げる時間がない。そのときわたしの取るべき行動は
なんだろう。まずわたしはライフジャケットを2枚着る。3枚はかさばって着る
ことはできないだろう。もちろんこれは近いうちに試しておくことにする。それ
から浮き輪に腕を通し浮き輪が離れないよう、ロープを体に巻きつける。ク
ーラーを空にする。これも浮き輪代りで、わたしは魚ではないのだから、空
気を吸うために浮くことが最優先なのだ。また、頭を保護するためにヘルメ
ットの代用が必要だ。帽子は外れないように顎ひもを付けておく。そうだ、3
枚めのライフジャケットは頭にかぶってもいいのだ。4枚めは股に通そう。そ
れら浮くための基本体勢を素早く済ませたとして、問題はこれからである。
わたしはどこにいればいいのだろう。キャビンの中か、または室外で船から
投げ出されないようにしっかりつかまっておくべきか。キャビンは機密性が
高く、船底にも空気室があるからしばらく浮いているとはいえ、沈み始める
と水圧で出られないことになりそうだ。いや、津波の衝撃は想像を超え一撃
で船は木端微塵になるかも知れない。船を捨て岸まで全力でたどり着き、
あとは運を天に任せるべきかも知れない。スマトラ島沖地震による津波の
いくつもの映像が脳裏を過ぎる。                           
                             
  乾いた空に雲はちぢれ、切れ目からすきま風のように風を送り込んでく
る。沖の白波は鎮まりそうもない。漁船が逃げ込むように港に入って来た。
鳶はわたしの思考に付き合いきれなかったのか、いつのまにか姿を消し、
堤防の釣り人は引き潮に入ったことを知り、道具をたたみ始めている。
 Mさんはもう炬燵(こたつ)で熱いお茶でも飲んでいるだろう。
 カレイはほんとうに寒がりなんだろうか。鳶の行方を気にしながらわたしは
まだこれからの身の振り方を定めきれないでいた。
             



 究極の刺身

 魚が釣れると氷の入ったクーラーに放り込み鮮度を保ち持ち帰る。これは
普通のやり方。これを一歩前進させて釣れるとすぐに締めてクーラーへ。締
める、というのは頚動脈を包丁でかき切り一瞬のうちに殺すことを言う。頚
動脈に包丁を入れると、尻尾は軽く痙攣しどろりと粘土のような黒ずんだ血
の塊が出る。体内に血液が残っていないから締めない場合と比べ、臭みの
ない味と身の締まりが格段にちがう。

 これをさらに進化させたのが活きたままの持ち帰りである。海水を容器に
入れ、酸欠にならないようにエアーポンプで酸素を送り込む。ここまでは誰
にでも思いつきそうだ。しかし移動時に容器から海水が漏れては大変だ。
帰り着いたときトランクが水浸しになっているようでは困る。またトランク内
は夏場、かなり気温が上昇する。酸素は十分でも海水がお湯になってしま
うし、冬季は逆に低下する恐れがある。これでは魚は生き延びることができ
ない。走行中の揺れに漏れないこと、外気に影響されないこと、が必要条
件である。それにある程度大きくなくては。
「いい容器はないものか」
バケツやプラスティックの容器は外気温に敏感で水温に変化を生じる。ガラ
スの水槽は蓋がなく水漏れが心配だ。

 それは身近にあった。いつも使っているクーラーである。外気と遮断され、
しかも蓋の内側にはゴム・パッキンが付いていて、完全に密着される。問題
はエアーポンプの挿入だ。電池式の本体からチューブで酸素を送るわけだ
が、本体を濡らすと故障してしまう。

 わたしはクーラーの外側上部にチューブを通すための穴をドリルで開け
た。プラスティックの二重構造で中に発泡スチロールが詰めてある。穴は驚
くほど簡単に開いた。クーラー外側上部に本体をビニールテープで固定し、
穴からチューブを通す。これも簡単だ。穴とチューブの隙間をやはりビニー
ルテープで埋めた。

 いよいよ実践当日。わたしは釣った魚を船の生簀で活かしておき、港に戻
ってクーラーにバケツ二杯と半分の海水を入れた。本体にスイッチを入れる
と予行演習どおり、ブクブクと空気の泡が海水に行きわたる。そして活きの
いいアジを生簀から5匹移し蓋を閉めた。酸素を送り続ける心地よいポンプ
の小刻みで低い音が達成感を満たした。

 帰り着くまで水漏れが気になっていた。上り坂あり急停止ありカーブあり
だから少しは漏れているだろう。少しか大量にかだ。それが問題だった。とこ
ろがなんと水漏れは皆無でポンプも十分機能し、魚はピンピンしていた。

 その刺身のうまかったこと。締めて持って帰った魚はうまい、と舌鼓打って
いたのだが、その比ではない。なんと言っても身の締まりが数段ちがう。コ
シコシしていて噛まないといけない。これまでの刺身は歯が身を押し潰す感
じだったが、これは切り裂くように感じられた。生簀料理店での魚もこうなの
か。そうでないことが多い。なぜなら料理店の魚は数日間生簀で生きている
うち、筋肉が衰えるのである。

 エアーポンプで産地直送。それが究極の刺身か。そうではない。さらに究
極の刺身を追求しよう。釣り人しか味わえない究極の刺身を。

 それは釣り上げたらその場、間髪入れず刺身にし、食するのである。漁師
がやっているのにさらにひと工夫考えてある。釣り上げたら生簀にも入れず
船床にも着地させず、針から包丁へリレーするのである。
「そういうことだから次回は刺身包丁用意して来てくれ」
刺身を上手に作れないわたしは友人に電話を入れた。
「そりゃあ、すごいですね。やりましょう。特上のビールも持って行きましょう」
「うん、うん。ビールはわたしが持って行きましょう」
わたしは瓶ビールを持って行くつもりだ。それにしても紙コップじゃ、興ざめ
だな。

 友人の包丁はよほど切れ味がよいのか、包丁の先を新聞の広告紙で巻
きセロテープを幾重にも貼り、弾の込められた鉄砲でも持ち運ぶように慎重
にバッグの底に納められていた。わたしはグラスを冷凍庫で冷やし、ビール
とともにクーラーの氷で冷やしている。

 第一投は陽が少し傾きかけた頃。
「春みたいやね」
山の紅葉が散ってしまったこの頃にしては、風も波もなく暖かい陽気だ。
「最高の日和やね」
最高、というのはやがて釣れるであろう大アジ、そして、究極の刺身への賛
辞をも含んでいた。

 ところが釣れない。フグも金魚もメダカも釣れない。しばらく経って友人は
「ここはまえとちょっと場所がちがう」
と言い出した。
「いいや同じポイントよ。水深もぴったり18メートルだった。剥げて赤土が露
出した崖みいたになっている岸が正面だし、向うに赤い屋根の家が見える
だろう。あっちには緑の屋根。この線を結んだここ、そして水深。ぴったりこ
こや」
そう説明しても納得がいかないようすだ。わたしは気が進まなかったが気分
転換のために他のポイントへ船を動かした。

 わたしの釣り信条は釣れなくても辛抱強く餌を投入続けること。アジは回
遊魚だからある程度ポイントがずれていても寄ってくるものだと信じている。
アジだけではない。チヌや鯛の底物も餌が海底に溜まり漂っていると、遠く
から引き寄せられ釣れ始めるのだ。果して夕方までふたり気を吐いて、アジ
は刺身にはできないほど小さなものばかりですべて放してあげた。

 陽が鶴見岳に隠れ堤防に移った。突端に赤い電球の光るL字の少し開い
た形の堤防だ。岸から離れているので「離れ堤防」と言い、下界とは無縁の
自由な気分になれる。幼いころ、みかん箱に入ってひとりの世界に浸ったそ
んな気分を思い出す。

 夜釣り開始。いや、そのまえに釣った魚で鍋をするはずだった。カワハギ
やアラカブを入れるので、おいしいスープができる予定だった。友人は刺身
も上手だが鍋料理や味噌汁、バーベキューなどもキャンプのときは黙々と
作ってくれる。アウトドア派でガスコンロ、フライパン、鍋などコンパクトな道
具をたくさん揃えている。わたしは野菜を洗ったり手伝うこともあるが、ポケ
ットに手を突っ込んで見ているだけのほうが多い。今夜の鍋は野菜から滲
み出たさらりとした脂気のないスープとなった。

 夜釣りも釣れなかった。気力がなかった。昼間から釣れなかったので、夜
も駄目だろうと諦めの気持ちが暗雲のように広がっていた。夜は釣るぞ、そ
う頑張ってもいいはずだが、究極の刺身を実現できなかったショックが響い
ていた。わたしは早々にキャビンで眠りに就いた。数時間経ってかれがわた
しの横で寝袋にくるまる。
「釣れたあ」
「ぜんぜん」
低い声が返ってきた。それっきり会話は続かなかった。
 ところで瓶ビールは夕食の鍋のときに乾杯で飲んだ。まあ、これはこれで
うまかった。


 -放 流-

 わたしは餌が余れば生き長らえると思われる場所に還してあげることにし
ている。ゴカイなら潮が引いた岩場や泥砂地に、モエビは池や川に、といっ
た具合だ。逃がすとき、わたしはいつも小声で言う。
「なんとラッキーな餌たちよ」
と。
 全国にある釣具店のなかで、わたしの行きつけの釣具店に卸され、何百
人もの客のなかでわたしから買われ、きょう一日を餌としてつかみ上げられ
ることから逃れ、餌箱のなかで弱らず、そして海や池に放たれる。人間に例
えるなら、2億円の宝くじに当るほどラッキーな、あるいは戦場で敵が銃を向
け狙いを澄まし、引き金を引こうとした瞬間、終戦となった、同じ命拾いでも
神がかり的に幸運と言うほかないほどツイている餌たちだ。
 ゴカイを逃がすのに場所は困らない。目の前は海なのだから。しかし淡水
のエビ類はちょっと厄介である。海から自宅までのあいだに池や川がない
ことが多い。あっても寄り道になったり、帰宅を急いでいるときもある。結局
自宅まで持って帰ることになるが、これは大変な作業が控えている。みすみ
す見殺しにするわけにはいかない。
 わたしは水槽で飼うことを決め、水槽やエアーポンプ、水草や敷石など買
い揃えた。水道水を張ってカルキを抜くために数時間放置した。モエビは水
温の変化には強いが水質に敏感だ。餌はなんでも食べるから、与えすぎな
いよう注意さえすれば増やすことも可能だ。与えすぎがいけないのは、モエ
ビが金魚のように食べ過ぎるからではない。余った餌が水中で腐敗し水質
を悪化させる。
 モエビはいつも水草に揺られ、猫が腕で顔を繕うように長い髭を自慢する
かのように、両腕を交互に使いながら繕っている。ゆで卵の黄味も好物で
黄味を食べると胃が黄色に透けて見える。仲間同士が鉢会うと、互いにぴ
ゅんとのけぞるのが挨拶の仕方だ。そしてわたしの釣りがメバルからチヌ釣
りに変る梅雨入りのころ、お腹いっぱいに卵を持つ。
 余っては入れ、また余っては新入りを増やしているうちに、水槽はモエビ
で賑やかになってきた。わたしはすっかりモエビの表情に愛着を感じてい
る。もう、釣り餌に再利用するなんてことは人道上できない。

                              


 -天気予測-

 いつ梅雨入りしたのかわからないが、連日の降雨である。気象庁が梅雨
入り宣言を出しても出さなくても、傘を持っていてもいなくても、雨は降りた
いときに降るものだ。近年はあとになって「**地方はいつ梅雨入りした模
様である」と宣言がある。じっとようすをみていて、まちがいないと判断して
のことだろうが、あとになってのことだから単なる報告で意味を持たない。気
象衛星もレーダー使わずにだれにだってできることだ。だいたいそのころに
なれば、素人のわたしにだって「梅雨に入ったな」とわかる。

 梅雨入り宣言をすると皮肉のように二、三日は晴天が続き、梅雨明け宣
言があると二、三日は降り続くものだ。そういう辛酸を舐めたくないので、あ
とになって宣言をする名案を思い付いたのだ。
 そういう手法がまかり通るなら、明日の天気予報も明日の夜にすればい
い。「きょうは全国的に晴れた模様です」「きょうは東北地方、**村に季節
外れの雪が降りました」と。聞く側も「そうだったのか」と真実味を帯びて受け
取れる。もっとすごい利点は気象庁の職員が二、三人でこと足り大幅な国
税の節減となる。その分を老人医療費に回し、10%も20%も負担が軽くなる
としたら、わたしはここで画期的な提案をしたことになる。

 とは言え、朝刊をめくってまず目を通すのはきょうの天候である。奥さま方
は洗濯物を干して外出できるか、花壇の水やりは省けるか、有力な思案材
料だ。

 天気予報がいまだ天気予測の域であって当たらないのは、もっと税金を
投入して機器の開発や精度の高い衛星を上げる必要があるということか。
分析官の人数も研修も足りないのかもしれない。このように少しは気象庁
に同情もしているのだから、昔どおり、きちんと梅雨入り宣言も梅雨明け宣
言も自信をもってやってほしい。そして予報が当たらなかった夕刻には「す
みませんでした」の一言くらいあってしかるべきだ。

 そもそも「予報(予め報じる)」と称し、公衆の電波を使って堂々と嘘が言え
るのは気象庁くらいのものである。「天気予報」を改称し「天気予測」とすべ
きだろう。

 釣りに行けぬ休日。梅雨空を眺めながら、これはつまらないことを考えて
いる部類に入るのだろうか。


 −禁 句−

 好天無風。
池のように静かな海。
「今の時期にこんな日は珍しい」
ポイントに到着し、第1投を済ませたMさんが言った。
確かにこんなに穏やかな海上は滅多にない。
すぐに防寒着を脱いだ。
「のんびりやなあ。いい日や。釣れんでもいい。竿を出しているだけで満足
や」
それが海底に伝わったのか、その日はピクリともしなかった。
つまり1匹も釣れなかった。
以後、「釣れんでもいい」は禁句と申し合わせた。



 −若 潮−

 休日はいつも決まった仲間と船釣りだ。
 外海から波を押すように吹き付ける南寄りの風はじき治まったものの、ア
タリといえばキスかアラカブの小さなものらしく餌を取られることが多い。わ
たしの仕掛けはキスの口に合うような小さなものではなく、40cmから50cm
の黒鯛に照準を合わせたものなのだ。他の船はアジを釣るだけの仕掛け
がほとんどで、キスなどのアタリもなく、ただ、待ちの退屈な時間を持て余し
ている。

 アジ釣りのサビキ針の下にテンビンを付け、そこから黒鯛用の針を出し、
アジだけでなく、カワハギ、メバル、鯛やアラカブなどの底物も同時に狙える
ようにしたのがわたしの仕掛けだ。

 辛抱がきかず魚探を覗き込みながらポイントを移動する船が増えてくる。
わたしの船近くから遠ざかる船もあり、また近寄って来て投錨する船もい
る。わたしは動かない。ここが一番いいポイントだということを知っている。こ
こでだめならどこへ行っても釣れないのだ。移動する船は気分転換というの
が多い。船長は同船者に気を遣うものである。それが有料の釣船だったら
なおさらのことだろう。
 同行の浜ちゃんはキスやアラカブをよく揚げる。        
「チヌ針、何号?」
「2号にしました」
わたしの針より数段小さい。
「それじゃあ、チヌが掛かったとき、対応できないよ。針、伸びてしまうよ」
「でもいろいろ釣ったほうが楽しいですから」
頑固なヤツ、と思ったとき、置いていた竿が縦に大きく首を曲げた。勢いを
つけて竿を持ち上げると穂先が「つ」の字に海面に突っ込み、それがチヌで
あることが直感できた。
「チヌや。きたぞお」
思わず叫ぶ。釣れた、ということより叫べる、ということのほうが嬉しい。
「タモ出しましょうか」
浜ちゃんが振り返る。仕掛けを3mほど巻き上げたところで
「いや、いい。小さいみたい」
それは最初の抵抗だけで、あとは力尽きたのか楽に上がってきた。海面か
らひょいと菜っ葉でも引き抜くように魚を取り込む。揚ってきたのは23cm、
小振りのチヌ。この程度のはチヌと言わず「メイタ」という別称がある。小さい
うちは体側に縦縞があり、それが昔、主婦が使っていた洗濯板のような模
様に似ていることから、板目(イタメ)が訛ってメイタとなったという。にぎり寿
司のトロだのブリだのを「ネタ」と言うが、元は「タネ」であったのをひっくり返
して呼ぶようになったことと同じだ。
「それくらいでも2号、伸びますか」
「伸びんだろ。それにきみの竿、よくしなるから」
かれは安心したようにまたキス釣りに興じていた。
「アジ釣りにきてこんなにアジ釣れんことも珍しいなあ」
「そうですか」
船でアジ釣りを始めて一年も経たないかれはやっと現実の厳しさがわかっ
たようだった。

 帰宅後、まずわたしがすることは入浴である。早朝からの釣りは帰宅も早
く、明るいうちの入浴は気持ちのいいものである。しかしなぜ釣れなかった
のか、という疑問が頭をもたげ、浴室のわたしはかなり難しい顔をしていた
に違いない。
                                                          
 この日は若潮。
「若潮は海の底から潮が動く日じゃから釣れんときが多い。人間で言うたら
環境がいっぺんで変わるつーことじゃろかな」
かつて漁師から聞いたことがある。若潮は魚たちに食欲がわかないという
ことか。
「朝、食わんやったときは夕方は食う(釣れる)。朝、食うた日は夕方は食わ
んなあ。よーできちょるなあ」
とも漁師は言っていた。それでは今日の夕方はどうだろうか。「朝食わんや
ったときは」を検証したいと考えていた。

 わたしがなにかを思いつくと、それはよい方向へどんどん舞い上がる。柱
時計は14を指している。間に合う。
 わたしはMさんに電話をした。かれは釣りは好きだが、歳の割りに早起き
が苦手で早朝5時出港の日は声を掛けていない。
「これからどうですか。朝釣れなかったんで、夕方はいいんじゃないか
と・・・」
わたしは薄氷を踏む思いで慎重に誘った。
「いいねえ。何時に港にする?」
「4時(16時)では?」
「いいよ。来週は行けないから今週、行きたかったんや」
契約成立。3時に家を出ればいいから一時間ゆっくり休んでおこう。

 予定通り4時少し過ぎ出港。朝のポイントにぴたりと留る。気分一新。疲れ
もないし風もない。大漁の予感。このとき、Mさんが狂喜の叫びをあげた。
「いいなあ。絶好の釣り日和やなあ」

 撒き餌をアミカゴに詰め、冷凍海老を針に付けて20mの海底に投入。海
底で魚が集まって来るように撒き餌を大きく振って散らす。アジや鯛やメバ
ルなどが一斉に餌を目掛けて集まって来ているようすを連想し緊張する。
立ったまま竿を握り締め緊急態勢だ。

 大きく振って静止。また振っては静止。早過ぎてものんびりしていてもいけ
ない。そのタイミングこそが釣果を分ける。数回繰り返し詰めた餌がなくなる
と巻き上げる。なくなったことは振るときの水の抵抗、重さで感じ取れる。ま
た詰めて投入。振る。静止し神経を穂先に集中。1時間も繰り返した挙句、
魚からなんの音沙汰もない。大漁の予感は午前に引き続き絶望への予感
に変わる。
「やっぱ、若潮ってのがいかんのやろか」
詰める手を休め希望を失った声でMさんに言う。
「今からや。暗くなる寸前には来る。大きいのが来る」
かれは午前中を知らないから精神力がある。「朝食わんやったら夕」それを
忘れたわけではないが、穂先にぽつりとも生体反応がないのには見通しも
悲観的になる。

 かくして夕日は沈み船に三色ライトを点灯する。辺りにいた10パイに近い
釣り船は皆、わたしをのけ者にしたかのように、どこかへ姿をくらました。
まったく釣れなかったわけじゃない。中型のアジ3匹。かれもその程度でわ
たしのをかれのクーラーに放り込む。
「ふたりやからこれで十分」
嬉しそうに礼を言った。しかし、わたしには家族ふたりやから、3人やからの
問題ではなかった。

 釣れなかったことが虚しい。なぜ釣れない日であったのか、理由がわから
ないことが悔しい。疲れ、怒涛のように肩に背中に腰にお尻にふくらはぎ
に。

 この日、現実の厳しさがわかったのはひとり浜ちゃんだけではなかった。

                                                              



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