「豊後国風土記によると河直山とある鉄輪も、鎌倉時代に編まれた『豊後国図田帳』には鶴見加納となっている。つまり火男火売(ほのおほのめ)神社の御神領地であった鶴見十五町に、新たに加わった新規開墾地と思われる。方二キロにわたり白煙もうもうと立ちこめる荒無地であった鉄輪の地は、農耕地としては比較的に開発が遅れたのであろう。
加納が鉄輪に変わったのはいつのことかわからないが、おそらく時宗系の湯聖たちが、仏教的な解釈のもとにこのように置きかえたものと思われる。時宗が宗勢拡張の方便として大いに伝播した六斉念仏の演目の第一は"念仏発願"であり、ついで"鉄輪" "四季" "四つ太鼓"とつづいている。神前の場合は"鉄輪"を第一に念仏・四季の順で行われる。このように鉄輪という演目は六斉念仏中で主要なものであったらしく、鉄輪の語源もまたここらにあったのではなかろうか。」
「別府温泉史」別府市観光協会編著(いつみ書房1963年)