志村康さん名言集
この語録は
作ろう!伝えよう!ハンセン病WEBマガジン
〜作ろう 思いを寄せ合って  伝えよう 心をつなぎ合わせて〜 のHPの
ふれあい広場
志村康さんとキャッチボールのコーナーより
抜粋
させていただいています。
テーマで掲示板の志村康さんのコーナーへ行って
お話しませんか?


宿泊拒否事件で声明文を発表する志村康さん中央奥・撮影びーばーさん


「未感染児童」「元患者」の呼称は、明らかに「普通でない」ことを知らしめるために使用しているのではないか。それは新たな差別の始まりである。
2003/11/01 その3 ( No.51 )

最後の一人の遺骨から50年間は国や地方自治体等の公が懇ろに祀って欲しいと思っております。
2003/10/24 その3 ( No.42 )

らい予防法違憲国倍訴訟は、憲法を顕在化させる作業でもあったのです。
2003/10/29 その3 ( No.48 )

見て感じていただき、他人に話していただき、また新しい人が園に来てくださる、そんなことが続けば理想的ですねえ、若い方には本当に期待しております。 
2003/09/21 その3 ( No.20 )

権利闘争に妥協はない、これは私が10代の終わり頃に書かされた原稿のタイトルです。
2003/11/26 その4 ( No.89 )

すべてのマイノリティが差別から開放され、共生出来る社会の実現のために、今後ともにご協力の程を・・・
2003/11/23 その4 ( No.66 )

日本は法治国家であり、知ろうとせずに知らないことは、法治国家の国民としては恥ずべきであり、知らない側に立ち宿泊拒否を正当化することは法以前の問題であり資本の論理である。宿泊拒否は明らかに憲法に反する行為であり、人道上においても許されざることである。
2003/11/20 その4 ( No.34 )

私たちは生涯闘うしかないと決めています。手を抜くと敵はいつでも牙をむくのです。そして双方が傷つくのです。
これだという物差しのない世界ですが、憲法を物差しにして頑張りましょう。
2003/11/19 その4 ( No.15 )

日本は法治国家である。かってハンセン病を病み、そして治った、その人たちが何故「他の客に迷惑」「客の懸念に考慮」されなければならない対象であるのかを問うものである。 
2003/11/19 その4 ( No.18 )

法治国家とは法の支配を国民が受け入れる事だと思います。
法が万能でないことも事実ですが、対等の立場に立つには法廷しかない、そう実感がだんだん強くなります。
2003/12/03 その5 ( No.43 )


ハンセン病、HIV、同和問題その他の差別を考える場合、被差別の内部においても「不作為の責任」が問われている事でもあります。
「有るものはある」から出発するのか「有ってはならないものだからなくすべきだ」から出発するかで、不毛の議論になってはいけないと思います。
要するに気付いたときに一歩踏み出すという事ではないかと思いますが。
2003/12/04 その5 ( No.50 )

老いをどう考えますか、地球をどう考えますか、人間みな死ぬのです、地球も太陽に飲み込まれて生涯を終えるのです。人間の優越感など取るに足りないと思いますが。
2003/12/03 その5 ( No.35 )

憲法は差別は許しません、社長が差別するから差別は続くのではないでしょうか。憲法を守ろうとする人が多ければ多いほど、人権侵害は減少していくはずです。
2003/12/25 その6 ( No.98 )

兎に角若い感性での書き込みでないと,広がって行かないのです。若い皆さんの参加を切望いたします。
2003/12/24 その6 ( No.77 )

「温泉に入るより 骨壷に入れ」との投書が自治会に来ているという、これだけのキャツチコピーがひねり出せるなら、万人が肯ける楽しいものが出せるはず、貴方に言われなくとも骨壷には入ります、そして貴方も。
2003/12/13 その6 ( No.10 )

ハンセン病問題が実は、権利を抑制されている方々と共通の問題解決をも見据えた運動であることを自覚して、再出発をしたいと思います。
2003/12/15 その6 ( No.16 )

小泉総理が本気でイラク派兵が,憲法でいう『国際社会において、名誉ある地位を占める」と解釈しているとすれば、与党議員は一刻も早く議員を辞して、義務教育に戻るべきだと提言する。
2003/12/12その6 ( No.2 )

治っているものは、患者でも元患者でもないのですから、病気を理由にした差別はあってはなりません。たとえ何かの病気に罹ったとしても、恥じ入る病気などないのです。また人は病むのです。求めなくとも、それが人間なのです。
2004/01/05 その7 ( No.56 )


私は人権侵害に対しては妥協はありえないという強い信念で望むべきだと考えてまいりました。私の文章書き始めが「人権侵害に対しては妥協はない。」18歳か19歳のときでした、50年間同じ位置にいることは前へは進んでいない、無意味な人生というべきではないかと、書き込みをしながら自問自答しております。
2003/12/30 その7 ( No.28 )

{呼称)の問題で私は「らい予防法の被害者」が最もふさわしいと申しました.
家族の解放が主眼であったのですが、{「らい予防法」被害者}とすることで家族の被害も視野に入り、退所者・回復者・非入所者・遺族・家族・全被害者を対象にできる『言葉」になるのではないかと思います。
2004/01/13 その7 ( No.81 )

、「らい予防法・被害者」これには深い訳があります、それは差別や偏見を持って誹謗や中傷をする側(加害者側)も実は『らい予防法・被害者」ではないのかという視点です。
そう規定しますと、国民運動に発展が可能ではないかという欲張った考えを持っています。
2004/01/13 その7 ( No.83 )

この言葉が生まれた背景には、あの黒川温泉宿泊事件がありました。
また作ろう!伝えよう!ハンセン病WEBマガジン
HP作成委員会
の方の企画で
このような志村さんとキャッチボールのコーナーが存在し、
意見交換できることは意義深いことだと思っています。
このページを通じて志村さんのことを少しでも知っていただけたらと思います。