昇格、そして優勝 | ||
2002 J.LEAGUE DIVISION 2 第42節 川崎戦(2002.11.9) | ||
11月2日(土) 大宮公園サッカー場 J1昇格をきめた大宮戦。 ゴール裏につめかけたサポーターの歓喜。 浮氣のインタビューを聞いていると、涙が出そうになる。 TVの中にいる人たちがうらやましい。 ゴール裏の歓喜を映し出す画面にふと、目に留まるダンマクがあった。 「秋天の陽炎」ここに完結 「秋天の陽炎」とは金子達仁の本のタイトルである。 1999年11月21日、大分市営陸上競技場。 ロスタイムで同点に追いつかれ、山形と引き分け。 昇格をのがした、あの試合を中心にトリニータを描いた作品だ。 大分トリニータの歴史は、まさにあの試合から始まったと言ってもよい。 皮肉なことに、あの試合をトリニータの選手として体験した竹村栄哉は、大宮の選手として大分の昇格を阻止するため、左サイドを駆け上がり、強烈なシュートを放った。 そしてあの試合で、ロスタイムに同点弾のFKを与え「戦犯」の一人として辛酸を舐めさせられた山根巌は、決勝点を決めヒーローとなった。 J1昇格を決めた大宮戦が、「秋天の陽炎」後の3年間の幕を引いたかのように見えた。 |
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11月9日(土) ビッグアイ 入り口で配られた青い新聞紙面を掲げ、スタンドが青に染まる。揺れる。 何度も繰り返し起こるウェーブ。 優勝の瞬間をこの目で見届けようと、24000人がビッグアイを埋めた。 |
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今年3月のビッグアイはのんびりしたものだった。 1時間も前に行くと、スタンドはがらがら。 春のあたたかい日差しの中でゆっくりコンビニおにぎりなど食べて、UPの様子を眺めていた。 それはそれで、心休まるシアワセな時間ではあったが、トリニータはそれ以上のシアワセを与えてくれた。 そのシアワセに報いるため、私たちはビッグアイを青く染める。 |
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ウェーブ、選手へのコール、アカペラの「アレオトリニータ」。 言い知れぬ感動が胸を詰まらせる。これはスタジアムに行かなければわからない。 ゴール裏のダンマクに目が留まる。 「秋天の陽炎」ここに完結 ダンマクはビッグアイに帰ってきた。 川崎戦が、優勝を決定する試合になろうとは、なんという因縁。 川崎の指揮を執る石崎監督は、1999年のあの試合で大分の指揮を執った。 塩川岳人もまた、大分の選手としてあの試合に出場している。 彼らの胸中にはどんな思いが去来しているのだろうか。 「秋天の陽炎」ここに完結 サンドロの言ではないが、神様はやはりいた。 2対1でリードのまま試合はすすむ。 ロスタイム5分。 終了のホイッスル。 そして、優勝を決めたとき、ゴールを守っていたのは、小山健二だった。 神様はいた。 あの試合で自らの判断ミスのために失点したと言い、後悔の念に打ちひしがれた小山。 その後、前川、岡中の陰で出場機会にも恵まれなかった。 しかし、不断の努力を怠らず、トリニータにすべてを注いだ。 岡中の負傷交代により、小山がゴールマウスを守る。 積極的に飛び出し、パンチングで危機を救った小山。 コヤマ、コヤマ。コールが轟く。 試合は終わり、チームメイトとともにビッグアイを一周する小山の笑顔。 ついに「秋天の陽炎」は完結した。 |
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優勝の瞬間 | ||
reported by miyashu | ||
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