ウドの語源 
                   (ウツロ)の転。茎は空洞となりやすく用材としては利用できないため  050702060126


 「野菜」といわれて、私たちがとっさに思いだす名前は――『ハクサイ・ダイコン、ナス・キュウリ・トマト』
と、いったところだろうか。しかし、これらは、すべて外国産の野菜名である。続けて、いくつか名前を並べてみても、やはり外国産であろう。
 日本原産の野菜は正直なところ数すくない。そのような希少野菜のひとつにウドがある。
 ウドは丘陵や山麓に生える多年草。日本で野菜化に成功した誇るべき野菜である。
 ちなみにわが国特産の野菜で主だったものは、ウドのほかにはフキ・ワサビ・ミツバくらいのものであろう。しかも、これらの野菜は日本の特産品であるため“udo,fuki,wasabi”などローマ字で書きかえてやれば、それがそのまま英語で通用するという。
 ところが、ウドのイメージは私たちにとって、あまりよくない。『ウドの大木』が反射的に思い出されるからだ。図体ばかりが大きくて、いっこう物の役に立たない、というほど意味に使われている。

仮名草子「浮世物語」(浅井了意、1661-1665)にも

            赤面して畳の(ヘリ)をむしり人なかに赤恥をかきて笑はるるなり。まことに独活(ウド)の大木、(ハス)木刀(ボクタウ)とかや。

とあり、『ウドの大木』は江戸時代初期ごろから使われていた詞らしい。ここでは、この“ことば”が木刀代わりに用いるレンコンに喩えられる。では、なぜウドが役立たないと人から言われるのか。

ウドは、北は北海道から南は九州の果てまで、日本列島の各地に分布する。暖地では3,4月ごろから、寒冷地では6,7月ごろにかけ苗を生ずる。その若芽は山菜として愛好される。香りや歯ざわりがよいうえ、ほんのりとした甘味がある。

近頃はスーパーなどで栽培品が手軽に求められるが、天然物ウドの味や香りは、また格別であり、文字通り『旬の味わい』というべきもの。しかし、残念なことに、成長して1〜2cmくらいになるとウドの茎は、急に伸びだし、まるで大木の幹を思わせるような感じとなって食用に適さなくなる。それで、大きくなりすぎ、煮ても焼いても食べられないのが『ウドの大木』だ、ということらしい。しかし、これは少々いかがわしい。

ウドの語源が今ひとつハッキリしないせいだろう。「牧野新日本植物図鑑」にも

            ウドは語源不明。

とある。昔の語源説に適切なものがなく、かつ自分でもこれと思う着想もなかったので、牧野博士は語源不明としたのに違いない。

語源の研究書として著名な「東雅」(新井白石、1716)では、『ウド』がこう書かれる。

倭名抄には本草を引きて、独活、一名、独揺草。ウド一にツチダラといふ、並びに不詳。そのツチダラといふもの、タラノ木といふものの葉に似たるが故に、かくいひにしにや。猶、不詳

    ウドの若芽                  掘り出したウド                   タラの芽

「東雅」によれば、ウドは和名抄(源順、931−938)に「独活 本草曰く、独活一名独揺草、和名ウド一にツチダラ」とあるが、ウドの語源は『不詳』だという。これに続いて「ツチダラとはタラノキに葉が似るので、このような名前(ツチダラ)になったのだろうか」という意味のことを述べている。これから察するに、新井白石はウドやタラの山菜採りを経験したことがなかったらしい。

山菜採りでは、タラの芽は茎頂の若葉を摘み取り、ウドは土中の若い茎を切りだす。両者はいずれもウコギ科タラノキ属の、よく似た植物である。ウドは土中に生じた部分が山菜に供されるところから、ツチダラという名になったのだろう。

ツチダラは「出雲風土記」(天平5年=733)にも『独活(ツチダラ)』として記される。ウドとタラノメは、香りや風味のよい山菜として古くから賞味されていたに違いない。

 

1.     ウツロ(虚)語源説

 

ウドの語源はウツロ(虚)である。このウツロの音から転訛したのがウドである。

4、5月ごろ、本草は山野の地肌からウサギの耳のような若芽を次々に持ちあげる。10〜20cmほどに伸びだしたものは山菜に最適で食卓に供せられる。だが、その期を越したものは急速に成長し巨大化する。ウドは草本であるにもかかわらず、草丈2mほどにも達し低木となる。その茎は太く大きいが、芯が中空なため材として利用ができず、それで「ウツロ(虚)」という名前がつけられた。

このウツロ(虚)がウツまたはウロを経て、ウドへ転じたのである。言うまでもなく、日本語のツとト、またはロとドは、まぎれやすい音である(u−o母音交替、またはr-d子音交替)。したがって、先に述べた『ウドの大木』の諺も、『虚ろな大木』の意と解すべきものである。

ウツ・ウロ、ウドは多少形を変えながら地名にも用いられる。「日本の地名」(谷川健一、岩波新書)は、オソゴエやウトウという地名例を引きながら次のように書く。

峠には動物の名前をつけたものが多い。山口県玖珂郡(クガ  )周東(シュウトウ)町にある(オソ)(ゴエ)はカワウソと関連がありそうにみえるが、そうではない。ウソやオソはウツ、ウト、ウド、ウトウなどと同じくウツロという意味で、谷間や洞穴、窪地につけられる地名である。長野県塩尻市の善知鳥(ウトウ)峠もその一つである。日本各地に見られるウシ峠や牛越、牛ケ谷などもウツやウトと同じ意味をもっているものが少なくない。

善知鳥は海鳥の名前である。だが、この鳥とウトウ峠とは何の関係もない。ウトウ峠は塩尻市の金井と北小野の境にある侵食谷、山の鞍部にあたる峠である。単に、鳥の名であるウトウという漢字を借りただけである。

「日本の地名」の本には取り上げられていないが、ウドという名前の地名もある。宮崎県日南市宮浦にある鵜戸神宮がそれだ。黒潮洗う日向灘に望む岩窟内、すなわちウツロ(空洞)にまつられている神社の意から、ウドの名を得たのである(ウドに当てられた漢字・鵜戸が特別な意味を持たないことは言うまでもない)

さて、ウドの語源がウツロ(虚・空・洞)に基づくことは理解されたにしても、古く、ウツロという言葉じたいが存在していたのだろうか。

「日本書紀」神代下の話に、コノハナサクヤ姫がニニギノミコトと結婚し、その子を「ウツムロ(戸無室)」で出産するくだりがある。この場合のウツムロは、周囲一面を泥で塗りつぶした、出入り口のない室のこと。このウツムロがウツロの原型である。これが

ウツムロ → ウツンロ → ウツロ

と転訛したものと考えられる。



    茎が“ウツロ(空洞)”化したウド(ウドの水分比:95%) 

         2.     ウドの漢名・独活

この節の本論にはいる前に、漢名の「独活」について書いておかなければならないことがある。

古く、わが国では、日本にある植物は必ず中国にもあり、その植物の和名は中国名である漢名に、必ず一対一で対応するものと信じていた。このような考えから、中国の知識が多くわが国へ導入されたのである。しかし、ウドの場合はすこし事情が異なっていた。すなわち、和名のウドと漢名の独活との対応関係が全くなかったのである。

和名のウドは、現在のことばで言えば、ウコギ科のウドAralia cordata Thunb.である。これに対して、漢名の独活はセリ科のAngelica(シシウド)属のある種の植物を指していた。ここに「セリ科シシウド属のある種」というのは、独活はセリ科の植物が主体をなすものの、産地によってさまざまな種類があり、独活という植物を一種に特定することができない、というほどの意味である。

しかも、わが国で、ウドという訓みのある漢字「独活」は、中国では単なる植物名ではなく、生薬名として理解されていた。つまり、独活は中国の薬草名なのである。

さて、この程度の予備知識をもって本題にはいりたい。

風が吹けば、たやすく揺れそうなウド          風が吹いても揺れそうにもない、堂々たる草姿のシシウド

明の李時珍の著した「本草綱目」は、独活について次のように記す。

            *陶弘景曰く、一本の茎が真っ直ぐに立ち上がり、風が吹いても揺れない。故に、独活という。

            *「医名別録」曰く、この草は風があっても揺れず、風がなくてもひとりでに揺れる。故に独揺草と名付く。

*李時珍曰く、独活のキョウ中(山西省西部〜陜西・甘粛省)より来たものは良品である。故に、キョウ活・胡王使者などの諸名がある。すなわち、一物二種である。<中略>薬剤に入れて用いるのに僅かな違いがある。このため、後世これを異なる二物とするのは間違いであるとしている。

*「名医別録」には、独活は雍州(陜西省の一帯)の川谷や隴西南安(甘粛省中部)に自生する、2・3月に根を掘り採り日干しにする、とある。

*陶弘景曰く、この州の郡県やこのキョウ?地のキョウ活は、形が細く、節が多い。柔らかで潤いがあり、匂いは極めて猛烈である。益州(四川省成都県)の北部、西川(四川省西部)に出ずるものを独活となす。色が微かに白く形が虚大である。薬用にするによく似ているが、小さいものほどよい。いたって虫が食いやすいので、密閉した容器にしまっておくのがよい。      [] 原漢文。   *印 および ()内の注記 : 筆者(和泉)が追記した。   

上文は大略二つのこと、すなわち(1)独活の漢名の由来と(2)独活とキョウ活の区別について述べている。

(ただし、ここに書かれた事柄は漢名の『独活』(シシウド類)について書かれたものである。和名の『ウド』について書かれたものと間違ってはならない。絶えずこのことを念頭において読んでいただきたい。)

まず、独活という漢名の由来について――

独活は「風が吹いても動かず、風がなくても独りで揺れる」ところから、「独活」、「独揺草」の名がついたという。確かに、独活は草本にしては大形の植物であり風格がある。独活をシシウドとしてみると、漢字の字面から受けるイメージにピッタリである。さらに、独活は「一本の茎が真っ直ぐに立ち上がる」とあるのも、独揺草と同様に理解できる。

ところが、これを日本のウドと見た場合は、どうであろうか。ウドの中心軸は、さほど真っ直ぐではない。地上から茎頂までを通してみると、ごつごつ折れ曲がりながら伸びている感じである。節から節までの間は真っ直ぐではあるが、全体的には屈折して見える。中国書の独活の説明は、日本のウドについての説明でないことが明らかであろう。

独活とキョウ活について――                  

中国では、ウドを産地によって分類し、独活とかキョウ活という名前をつけていたようだ。

ウドでキョウ中から来たもの、すなわち山西省西部〜陜西・甘粛省に産するものをキョウ活と呼び、生薬としては良品とする。形は細く節が多いが、柔らかで潤いがあり、匂いは甚だ猛烈とある。

益州(四川州成都県)の北部、西川(四川省西部)に産するものを独活という。色は微かに白く、形は虚大である。用途はキョウ活と似ていて、小さいものほどよいが、効用は少しキョウ活に及ばないという。

李時珍によれば、独活・活キョウの名の違いはあるものの、これらは一物二種であり、後世の人が異なる二物とするのは間違いだ、とある。

しかし、現在、市販されている独活やキョウ活を較べるのに、両者は全くの別物である。ということは、以上述べた独活とキョウ活に関する記述には、ひどい混乱があるように思える。

中国のウドについて、産出地別に単純に2分類したと思える独活・キョウ活という名前には、実は数種類の植物が含まれる。中国側で曖昧に付けられた名前が日本側でまた取り違えられ、問題が複雑化したのだ。これを極めて単純に割り切って整理すると、次のようになろう――

日本でウドというのはウコギ科の植物である。これは日本から朝鮮半島を経て、中国の東北部に分布する。わが国では、これに独活の字を当てウドと呼んだ。(中国で独活の名を持つ植物は、10種以上にわたっている。そのほとんどがセリ科の植物であり、日本に存在しないものが多い。このため漢名の当て違いを生じ、日本での混乱の原因となったようだ。江戸時代、ウドに土当帰(セリ科ノダケ)が当てられた。これは明らかに誤用であるが、それほどまでに混乱していた証拠ともいえる。ちなみに、ウコギ科のウドに該当する漢名は見当たらない。)

ところが、中国の東北諸州に産する、セリ科のシシウドが「香独活」の名で取り扱われているところから、シシウドの生薬に「独活」の名を与え、和名のウド(独活)と区別してキョウ活と名づけられたものと思われる。また、シシウドの漢名を独活としても間違いではない。だが、香独活が数種の中国産植物を指す名称であるから、シシウドを独活とするのは誤用であるといわざるをえない。なお、日本のウドがシシウドと間違えられ混乱を起こしたことについては後述する。)             

 

3.     ウドの方言

 

「日本植物方言集成」によれば、ウドの方言はおよそ次のように分類される。

(1)     ウド系  @ウド     秋田(北秋田)    岩手(二戸)山形(東村山)宮城(仙台)千葉、東京、神奈川(足柄上)

長野(諏訪)福井(今立)和歌山、鳥取(西いか)

         Aウント   山形(庄内・最上)

         Bオンド   山形(西田川)

         Cヤマウド  作州、山形(東村山)

(2)     シカ系  @シカ    西土、筑前、福岡、佐賀、大分、宮崎

         Aシガ    西国、福岡(久留米、小倉、粕谷、八女)

         Bシカガクレ 熊本(下益城)

(3)     ドゼン系 @トーゼン  長崎、熊本、鹿児島(垂水)

         Aドーセン  長崎、熊本、鹿児島

         Bドーゼン  長崎(南高来)熊本(南部)

(4)     独活系  @ド ッカ   西国、福島(東白川)茨城(久慈・多賀)      

         Aドツクハツ 西国         

(5)     シシウド系@フシアカ 岐阜

       Aムマゼリ 勢州

       Bヤマクジラ 青森(津軽)

           Cサイキ   北海道、松前、千砂野、木曾、富士裾野辺

       Dヨロイグサ 勢州

(6)     その他  @イソイモ   薩州

Aカンラ    勢州

 Bセナー   千葉(安房)

上表の(6)「その他」の項は、ハッキリせずここに纏めたが、恐らく(5)「シシウド系」に含まれるものと思われる。とすれば、本表はD分類となり、さらにこれを整理すれば、

1.北方系の『ウド』

2.南方系の『ドゼン・シカ・独活』

3.シシウド系の『シシウド』

の3つに分けることができる。日本列島の北部にウド、南部にドゼン・シカがあり、全国的にシシウド系の方言が散在しているといえる。

 

北方系方言ウドについて――

関東以北で東北地方を中心に分布するのがウドである。いうまでもなく、このウドという方言が本草の標準名となった。「『ウド』の大木、柱にならず」とは、図体がでかくても、『空洞』の材では柱にならない、というのが原義である。

 

南方系方言『ドゼン・シカ・独活』について――

これに対して、列島の南端・九州では『ドゼン・シカ・独活』系の方言が使われている。これに関して、面白い記事が『日葡辞典』(1603-4)に載っている。

ウド独活 食用になる或る種の草。その新しい芽、すなわち、茎が既に生じてはいるが、まだ土中にある間はウド(独活)と呼ばれる。それが幾分か土の中から出た以後は、ドゼンと呼ばれ、さらに大きく伸びた以後のものはシカと呼ばれる。

ドゼン       食用になる或る草。

シカ    食用になる草で、別名ウド(独活)、またはドゼンと呼ばれるもの。シカがこの草を食べると、その角が落ちるという。

「日葡辞典」は、ポルトガルのイエズス会が日本でキリスト教を普及するため、当時一般に用いられていた日本語を集録して作った辞典である。この辞書に、ドゼン・シカが収載されているということは、これが17世紀初頭に使われていたことの証しである。ウドが土中あるものを独活(ウド)、少し芽出ししたころをドゼン、さらに伸びたものをシカと呼んだらしい。また、鹿が本草を食べると角が落ちるところから、シカの名があるともいう。

さらに、これに関連して、江戸中期の「物類称呼」(越谷吾山、1775)には、次のような記録が残る。

独活 うど  西国にて、しかといふ。西国にては土中に有るを独活(()()くはつ)といひ二三寸地上に生じたるを、うど といふ。尺以上になりたるを、しかと(ヨブ)

両者の記述に微妙な差があるが、この場合、双方同じものについて書いたと見られる。そこで、この両者をつき合わせ検討するに、次のように考えてよかろう。

A.「日葡辞典」にあるドゼンという方言は、「物類称呼」の独活(ドヅクハツ)に由来した語と考えられる。

  ドヅクハツの『ドヅ』が ドヅ→ドヅ→ドヅン→ドズン→ドゼン と転訛したものだろう。

B.ウドの苗が土中あるものと、地上に少し芽出ししたものとを区別して、ドゼンとウドと呼び、この二つを食用に供した。

C.ウドの地上部が尺以上に成長したものをシカと呼び、食べるのを避けたようだ(勿論、大きくなりすぎ、まずくて食べられなかったのだろう。また、シカと呼んだ理由は、鹿の角が抜け落ちるからではなく、(食べられないほどに大きくなった)枝葉が茂るさまを鹿の角に見立てたものに相違ない)

以上をウドの方言の分布状況からみると、ドゼンと呼ぶ地方が九州の西部であり、シカと呼ぶ地方が九州の東部であった。

 

シシウド系の方言について――

日本でウドは、当初、春の若菜として認知されたものと思われる。現在では、ウドは山菜として単なる嗜好品にすぎないが、かつては大切な食糧だったに違いない。ところが、ウドを探し求めて『山菜の図鑑』片手に野山に出かけた初心者は、まず『にせウド』に手こずるはずである。丘陵部ではノダケ、また山麓にかけてはシシウドやハナウドが生えている。山菜取りに手馴れた人の手引きで一度でもウド取りを経験した人は、ウドを見間違えるようなことは決してない。だが、初めての人にとって、ニセウドは悩ましい。これらニセウドは毒になるものでもなく、それなりに食べられるので心配することはない。ニセウドのなかでウドと、もっとも至近距離にあるのがシシウドであり、このため両者がウドという共通名で呼ばれたものと思われる。ウドの方言のなかに、シシウド系の方言が多く含まれているのは、これらが過去に同じ植物として扱われた名残りと見られる。

 

4.     ウドの語源説

 

ウドの語言説には、見るべきものが乏しい。古く、ウコギ科のウドと、セリ科の独活が取り違えられていたせいかも知れない。以下に、その主だったものを紹介する。

 

昭和初期の語源の辞典である「日本語源」(賀茂百樹、1930)

「無風而自揺、故名 (風なくして自づから揺る、故に名付く )」とあり、ウゴの転か。

俗語に動くさまを、ウドウドといふ。       「注」 ( )内 : 筆者(和泉)挿入

という。この説は、俗語で動くのをウドウドということから、ウドの語源をウゴとみる。「滑稽雑談」、「たべもの語源抄(坂部甲二郎)」もこの説を支持する。

これは中国の「本草綱目」でみたように、『漢名』の独活・自揺草に関する語源説をウドに流用したものである。『独活(シシウド類)が風なくて自ら動く』という、そのウゴ(動)の音がウドに似ることから、語源とした。中国の『独活』は日本に自生してない。この説が間違いであることは自明であろう。

 

次に、「語源辞典植物編(吉田金彦、東京堂出版)は次のようにいう。

ウド(独活)は土中にあるときの称で「独活 汁、なます、あへもの、すうど、からの物」(料理物語)などあるように、食用にする若芽のときの材であることを考えると、ウは(ヨロ)しい、うまいのウ(宜)、ドは蕗薹(フキノトウ)などというトウ(タウ)の転じた語。語源は ウ・タウ→ウトウ→ウド の変で和漢混合語。「食べごろの()()」という意味である。

ウドの語源はウ(=うまいのウ)・(=トウ=薹)であり、「食べごろの若茎」を意味するという。

ところが、「広辞苑」によれば、トウ(薹)

            薹 (塔の形に似るのでいう) 菜・蕗などの花軸。くくたち。

とあり、野菜も花軸の立ち上がった状態、いわゆるトウが立った状態を指している。こんなトウが「食べごろの若茎」とは言えず、この説にも無理がある。

 

ウドをウヅ(埋)に由来するという説がある。「大言海」に

            うど (ウヅ)ノ転。[たづたづ、たどたど] 芽ノ土中ニアルヲ食フ意トイフ。イカガ。

とある。ウドは、まだ地表に現れない芽の部分を食べる。土中に埋もれるところから、ウヅが訛ってウドになったという。ウヅ→ウドの転訛は、u-o母音交替である。タヅタヅ→タドタドという音転例もあり、当然の音転だという。

この語源説は、「大言海」が誇らしげに『いかが』と聞いているように、なかなかよくできた語言説である。しかし、ウドは(ウヅ)ではなく、(ウツロ)からの転とするのが穏やかであろう。「大言海」の説は採用しない。

 

5.     ウド栽培の始まりを考える

 

 ウドの人工栽培は、軟化栽培といい、光の余り当たらない条件下においてウドを栽培する。できたウドはモヤシ状で、普通色は黄白色で質が柔らかく、独特の風味を持つ。

わが国で、ウドが人工栽培され始めた年代は定かではない。江戸時代、多くの農書が刊行され、それにウド栽培の記事が残ることから、江戸中期に起源したのでないかと見られている。

 

「百姓伝記」(著者未詳、1682年頃)には、ウドの栽培につき次のような記事が載る。

芽ウドを早く取るには、秋の末早く刈り取るか、押し倒し土をかぶせ、ごみあくたをかぶせ置くべし。ごみあくたを厚くきせ置けば、正月下旬、二月には若木大きに出るなり。

これは今いう促成軟化栽培法につき述べたものだが、この本によれば当時、東海地方ではウド栽培がかなり行われていたことが知られる。

ウドが一躍クローズ・アップされたのは「農業全書」(宮崎安貞、1697)からであろう。同書はいう――

三四月、芽立ちを生ず。貴賎あまねく賞味するものなり。里遠き山野に生ず。冬より土中なる芽を取りて食品とす。されど、時ならざるを食うはよからぬことにや。山野の空所多き所にては、はなはだ早く栄へ、ことに味よし。貴賎皆このみ用ゆるものなれば、都近き所、また諸国の国都など大邑ある近方にて、山野の余地あらば、多く作りたて市中に出すべし。

 「農業全書」は、単に百姓のために作られた営農技術の指導書に止まるものではない。さらに視野広く、幕府や領主のための農業政策の手引書の役割をも持つ。上文においても、都市近郊におけるウド栽培の有用性を説き、その観農を勧めている(今日、ウド栽培は東京近郊など都市近郊型農業として発達している)

 

さて、「本朝食鑑」(人見元徳、1697)は、メウドについて次のような説明をしている。

集解はいう、独活は冬に根を取り、(カメ)の中の土に埋め、あるいは土を塗って桶にいれておく。その根は塊を造り、上が尖り下が(ウズクマ)って、脂がある。冬も春先となり、根の尖ったところに紫苗がつく。これを俗に()宇土(ウド)と称す。[原漢文]

メウド(芽ウド)は、論者によってはウドメ(ウド芽)ということがある。以下(著書にある場合を除き)本稿では、これをウドメということにしたい。

ウドメは、「本朝食鑑」によれば、根株を囲って春に萌え出た紫苗を指すが、ごく単純には、ウドが根から芽を出し、まだ土中あるもの、と言い変えてよい。

ここで、第3節で述べたドゼン(「日葡辞典」)独活(ドヅクハツ)(「物類称呼」)が、ウドの土中あるものを指していたことを

思い出していただきたい。ドゼン・独活(ドヅクハツ)は単なる呼び名ではなかったのだ。ウドの食用部分として特殊な意味を持つ用語だったのである。つまり、ドゼン・独活(ドヅクハツ)は、野生ウドの土中にあるものをいうのではなく、人工的に土中に作り出した栽培ウドと解すべきものだったのである。そのために「日葡辞典」はわざわざドゼンという別項目を立て、また「物類称呼」は『独活』に難しいドヅクハツという『振り仮名』を振ったに違いない。同様に、ウドメという用語も特殊用語であり、人工栽培した、いわゆる軟化ウドとも解すべき語なのである。

ところで、時代は下がるが、「和訓栞」(谷川(コト)(スガ)、1859−1883)には、ウドメにつき

            されど庭訓に烏頭(ウド)()と書きたるをもて、黒き和布(ワフ)也。

とある。ウドに「烏の頭(カラスノアタマ)」の漢字を当て、ウドメを「黒い和布(柔らかな布)」と曲解している。江戸中期の最高の国学者と呼ばれた谷川士清にして、ウドメの意味をすでに見失っているのである。つまり、ウドメは19世紀半ばで死語と化したといってよい。

しかし、注意すべきは、死語化しながらもウドメという“ことば”だけは余命を保っていることだ。これは

@     メウド・ウドメの2語のうち、ウドメが成語であること

A     ウドメが栽培ウドを意味し、その起源を調べる必要があること

を示唆する。そこで、文献上にウドメのルーツを尋ねウド栽培の起源を推理してみる。

最初が「日葡辞典」(1603−4)のドゼン――(ドゼンは、すでに見たとおり独活の転訛した語)ウドの人工栽培である「盛土軟化栽培」の原始的な方法は17世紀初頭には始まっていたものと思われる。畑に畝をきり、土を高く盛り上げる程度でウドを栽培したのだろう。ウドを商品向けに栽培するというよりも、むしろ個人的な趣味からのウドづくりが主であったろう。

つぎが「下学集」(著者不明、1444)烏頭(ウド)()――(下学集は室町時代の漢和辞典。後世まで広く用いられた。ウドメの初見は「下学集」と見られる。)古く、和名ウド、別名ツチタラと呼ばれていたものが、「下学集」でウドメに変わっている。下学集は漢文で注が施され、漢字『烏頭布』は当て字で別段の意味はない。それまで春菜摘みの対象であった野生のウドが、室町時代に始めて、畑で野菜として栽培され、その名がウドメと呼ばれたのであろう。野生種をウド、栽培品をウドメ(食用ウド)と区別したものに相違ない。烏頭(ウド)()という漢字書きについて。下学集では、烏頭をウトウと()みウドの別名として用いたかったのであろう。すでに述べたように、ウトウはウドの転訛音である。それで、天然ウドを『独活』と表記するのに対して、栽培ウドを『烏頭布』と漢字書きしたものと思われる。)

われわれはウドメという“ことば”を手掛かりに、栽培ウドのルーツを探して、どうにか目的地に到達することができたようだ。スーパーの野菜コーナーで、なにげなく見かける栽培ウド。この、なにげない光景の中にも、室町時代からの長い歴史が秘められていたのである。    (和泉 晃一)