1984年
9月、まずはドラムのオーディション開始。10数人がこのオーディションに参加その中から橋本章司"ブッチャー"が選ばれる。 ギターは蓑輪と鮫島の推薦で西山毅に決定!
10月、新メンバーで河口湖スタジオにてリハ合宿。
10月31日、札幌厚生年金会館より「Great Escape tour '84 〜狼と踊れ2」新メンバーでスタート。
ボーカル大友康平、ギター八島順一、キーボード蓑輪単志、ベース鮫島秀樹、ドラムス橋本章司、ギター西山毅。
しかし新メンバーとの呼吸のずれが目立ち客足も確実に減少。
1985年
4月9日、千葉県文化会館より再起を賭けた「TYPHOON PATY TOUR1985」スタート。このツアーから大友はワイヤレスマイクを使う。
7月1日、12インチシングル「Knock Me Tonight」発売。
8月10日、西武球場。スタンドはガラガラ、オープニングの「嵐の金曜日」と同時に
雨が降り始め最悪の状況となる。しかしステージとファンとが一体となりライブの原点と呼べる伝説的なコンサートとなる。「ラストヒーロー」を唄っている最中にステージ上に仕込んでいた演出用火薬が暴発、大友は目の上を負傷するがそれでもなお唄おうとする姿がファンを熱くさせた。そして大友が『来年もここでやるぞ!!』と叫び、8月10日は「誓いの日」となる。この伝説のコンサートは音楽業界で噂となった。いよいよ大爆発の予感。
8月25日、10thシングル「ff」発売。日清カップヌードルのCMタイアップ決定。
7thアルバム「SPIRITS!」発売。
10月14日〜18日、渋谷公会堂5Days!!!!!「ff」の大ヒットで五日間超満員。いよいよ歯車が噛み合ってくる。
1986年
1月31日、2月1日2日、2月20日21日日本武道館5Days。チケットは即完売。
7月19日、愛媛県北宇和郡松野町、松野町グラウンドでライブ。人口5000人の過疎の町で6000人を集め伝説の野外ライブになる。
8月10日、「誓いの日」西武球場ライブ。4万5000人の超満員去年の落としまえをつける。
8月27日、11thシングル「Rocks」発売。
12月15日、人口5万人以上の町で行ける所は全て行くという前代未「BLOODS LIVE TOUR」山口市民会館よりスタート。足掛け3年207ケ所に及ぶ。
1987年
1月1日、初のプロモーションビデオ集「DOG EAT DOG」発売。
1月26日〜2月6日、2月10日、日本武道館10Days+1day。全日満員!最後の1Dayはファンに感謝の意味を込めて武道館全席無料招待コンサートを行い話題となる。
2月1日、俺達のレコード会社「マザーアンドチルドレン」設立。
4月6日、JOQRでラジオ番組「スクールズアウト」のレギュラースタート。
6月22日、12thシングル「ダイアモンドアイズ」発売。
7月17日、初のベストアルバム「Rocks To Roll」発売。
8月5日6日、広島ピースコンサートに出演。
8月22日、「BEAT CHAILD」阿蘇アスペクターで開催。どしゃぶりの雨の中7000人動員、伝説のオールナイトコンサートとなる。
9月1日、12インチシングル「SCRAP DREAM」発売。
マザーアンドチルドレン設立して記念すべき第一弾シングル。
12月10日、11thアルバム「Be Quiet」発売。
1988年
3月28日、BLOODS LIVE TOUR FINAL207本目を「ビッグエッグ」で開催。
法人として初めてドームを貸し切りでLIVE。86年からの3年越しのLIVEのFINALでファンの1〜207のカウントでスタートする。207のカウントでTOURの長さ積み上げたきた本数を噛み締める。5万人動員!!!!!このツアーの総動員数は920000人。
4月1日、13thシングル「AMBITOUS」発売。日清カップヌードルのCMソング&日本テレビ系ドキュメント「チョモランマはそこにある」主題歌。
6月10日、「OVER LAND TOUR」スタート。
7月10日、3月23日の「ビッグエッグ」ライブのビデオ「SUPER MONDAY IN THE 207 BLOODS」発売。
8月5日6日、ヒロシマピースコンサート出演。2日目のトップを飾る。
8月20、21、26、27、28日、日本人アーティストとして初の西武球場5DAYSのワンマンコンサート。17万人を動員。
10月1日、14thシングル「ONLY LOVE / DESTINY」発売。
11月1日、八千代松陰高校で課外授業と言う形で体育館でLIVE。
12月1日、15thシングル「NO NAME HEROES」発売。
1989年
1月11日、12thアルバム「GOLD」発売。初のチャート1位に輝く。初のニューヨーク海外レコーディングのアルバム。
2月21日、16thシングル「15の好奇心」発売。
4月15〜17日、渋谷公会堂3days。チケットは即日ソールドアウト!!!
6月1日、17thシングル「大地の子供たち」発売。
8月26日27日29日30日31日、大坂球場にてOVERLAND TOUR FINAL。
10月25日、18thシングル「Tell Me Why」発売。
12月23日、NO OBJECTION TOUR スタート。
12月27、28、29日大阪城ホール。
1990年
1月1日、13thアルバム「VOICE」発売。オリジナルアルバム初の2枚組。
1月2、3日9、10、11日、大阪城ホール。
1月5、6日、神戸ワールド記念館。あわせて大阪10Days!!
1月29、30、31日2月2、3、5、6、8、9、10、13、14、15、18、19日前人未到「日本武道館」15DAYS!!!!!!!!!!!!!!! 
7月29日、大友康平プロデュース「スーパーサンデー」を熊本県八代市で開催。9000人を動員。が、八代市内中学が生徒がイベントに行くのを禁止する。これに反発した中学生が2000人もの署名を集めた事で話題を呼んだ。
8月6日、ヒロシマピースコンサート出演。
8月10日、19thシングル「でっかい太陽〜Jump Jump Jump〜」発売。この曲はこれから10年やっていくイベント『夢の島』のテーマソングとなる。
8月6日、NO OBJECTION TOUR FINALとして東京夢の島で第1回『夢の島』開催。1990〜1999年まで計10回行われるハウンドドッグ恒例の夏の野外イベントとなる。
12月11日、BACK TO ROCK TOURスタート。
12月21日、20thシングル「GROLY」発売。
12月22日、『なんてこった!!』大友康平初主演映画「ゴールド ラッシュ」公開。
1991年    
3月29日、熊本・八代市総合体育館にてイベント“SUPER FRIDAY”を行う。(前年7月に八代市で行われたイベントを行った時、チケット代が高い、終演時間が遅い、ロックを聞くと不良になるといったことから、市の教育委員会が中学生入場禁止をした事件があった。これに反発した中学生が、約2,000通の署名を集めるが、結局そのイベントには参加出来なかった。この禁止事項をすべてクリアーした上で、もう一度その中学生達のためにコンサートをやろうという事になり計画された結果、料金無料(卒業証書が入場券)会場は室内、終演は7時という事でコンサートは行われた。入場応募総数40万通。)
4月25日、21thシングル「FLY」リリース。日野自動車のCMソング。
7月20、21日、9年振りの日比谷野外音楽堂2DAYS−DOGSHOT−。“BACK TO ROCK TOUR”の一貫として、この日だけの新旧とりまぜたスペシャルメニューで行われ、2日間で10,000席のチケットも1時間でSOLD OUT!となった。
7月27日&8月3日、夢の島1991−負けるもんかvs負けへんで−前年から始まったハウンドドッグのお祭りが行われた。この年は前年とは趣向を変え、東西対抗で、東は西武球場(7月27日)、西は阪急西宮球場(8月3日)の2ヶ所で行われ、この年もファンのリクエストによるメニュー構成や、コピーバンド大会もあり、メンバーとファンによって作りあげられたイベントとなった。西武球場−35,000名動員、西宮球場30,000名動員。

8月6、7日、第6回広島ピースコンサートに参加。この年はメルパルクホール広島にて行われた。
9月22日、沖縄・宜野湾海浜公園にて、“BACK TO ROCK TOUR”ライブ総本数約120本のファイナルをむかえた。 

1992年
2月5日、マザーエンタープライズのイベント“1万人の5本締め”(日本武道館)に参加。このイベントはマザーのアーティスト達がそれぞれにユニットを組み、演奏する曲もカバー曲のみというもの。
   HISTORY1992~に続く

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