HOUND DOG HISTORY
- 1976年
- 大友康平、東北学院大学在学時同じサークル(TMS)仲間の高橋良秀に、『バンドをやろう!』と強引に誘われ、ドラムス&ボーカルに大友、ギターに高橋、ベースに玉手の三人のバンドを結成。大友の独断で「ハウンドドッグ」と決定!
- 5月14日仙台歯科医師会館でLive。
- 1977年
- 大友、高橋、玉手のハウンドドッグは大学の学園祭に出演、ステージを見ていた蓑輪単志は大友のボーカルに感動し東北学院大学に入る事を決意。
- 1978年
- 高橋が『就職活動に専念する』と言い残しTMSを休部、その後同じサークルの八島順一に声をかける。その後玉手にかえて後輩の海藤節生を加えて大友、八島、海藤でハウンドドッグ結成。
- 12月、大友は卒業演奏会を前に休部中の高橋、新入生の蓑輪なども誘ってハウンドドッグ オールスターズを結成。この時Twistの世良公則の様にマイクスタンドを振り回そうとボーカルに専念。
- メンバーには、ボーカル大友、ギター八島、高橋、畑山、ベース海藤、ドラムス佐藤の七人。卒業コンサートを仙台電気ホールで行う。このメンバーがのちにデビューするハウンドドッグの母体となる。
- 最初の事務所の社長となる斉藤良氏に声をかけられる。『手を組まないか』と言われ大友は二つ返事で『やります!』と答える。
- 1979年
- ハウンドドッグはプロを目指して斉藤良氏の設立した「フライングハウス」を拠点に活動を開始!『俺はプロになる気はない』と佐藤が脱退。代わりにアマチュアバンド道玄ファイターズの藤村一清が加入。大友は藤村の事を年上だと思うが実は年下と判明!大いにショックを受ける。
- 2月20日、ヤマハの歌壇ミュージックセンターで昼夜二回公演。
- 6月6日、TMS定例コンサートにゲスト出演始めて「嵐の金曜日」を演奏する。
- 6月16日、2月と同じヤマハの歌壇ミュージックセンター昼夜二回公演このステージを最後に畑山が脱退。
- 8月、初の東北ライブツアーを行う。
- 9月7日、仙台市民会館大ホールで三部構成のライブ。レコード会社、芸能プロダクション各社が集まる。しかしライブは不評に終わる。
- 9月23日、ROCK JAM'79の決勝大会で予想に反して優秀賞に終わる。優勝間違え無しと言われてた大友はトロフィーさえも取りに行かずトロフィーは海藤が持ちかえる。
- 10月、CBS/SONYと契約。
- 11月、始めてのレコーディング。ドラマーがチューニングできない、ギタ−がレコーディングに使えない、大友が喉をつぶし難航。
- 12月20日、内田裕也のロックンロールBAKAで初の東京公演(日本武道館)。
- 12月31日、アサクサニューイヤーロックフェスティバルに出演。全国放送され『あのバンドは誰?』とデビュー前にして騒ぎになる。
- 1980年
- 3月21日、「嵐の金曜日」でデビュー。
- ボーカル大友康平、リードギター八島順一、サイドギター高橋良秀、ベース海籐節生、ドラムス藤村一清、キーボード蓑輪単志。
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- 5月1日、1stアルバム「Welcome To The Rock'n Roll Show」発
売。
- 7月27日、80’s JAMに唯一の新人バンドとして出演。しらけてる2万5千人を前に『まだまだイベントは続きます。ここでひと休みして、背伸びしましょう、、、、ハウンドドッグ万歳!』と叫び大ウケしてしまう。
- 10月1日、2nd シングル「おまえはB-88」発売。のちにハウンドドッグ始めての廃盤となる。
- 12月8日、日本青年館でライブ。ジョン レノンバージョンのStand By Meを唄う、ちょうどその頃ジョン レノンは暗殺される。
- 1981年
- 3月13日、横浜教育会館で大友ステージから転落靱帯を切る、以降の東北ツアーをキャンセル。
- 3月21日、3rdシングル「おちょくられた夜」発売。おちょくられたという形容詞は日本語には無い、という理由でNHKの放送禁止をくらう。
- 4月21日、2ndアルバム「STAND PLAY」発売。
- 8月9日、大友康平プロデュース「ロックンロールオリンピック」開催。場所は仙台の菅生スポーツランド。
- 8月28日、ファイナルファイト イン 日比谷。日比谷野外音楽堂にて4500人動員、この舞台で幻の名曲「Songs」を初めて唄う。
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- 9月21日、4thシングル「スクール デイズ」発売。NOBODY(相沢行夫と木原敏夫)が作詞作曲、始めてのメンバー以外に曲を依頼。デモテープの出来の良さに大友はびっくりする。デモテープは歌詞が英語だった。
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- 11月21日、3rdアルバム「Power Up!」発売。ジャケットはメンバーから心霊写真と呼ばれる。
- 1982年
- 1月2日、洋上ロックコンサート。藤村は他のメンバーは船酔いでダウンしてるのを尻目に平気で一晩中飲み続ける。高橋はもちつき大会でつきたてのもちを19個食べ伝説となる。大友はマージャンの最中に船酔いでダウン。海藤はファンの集いを開催。
- 1月15日、ロックンロール成人式。新宿歌舞伎町ディスコ「カーニバルハウス」にて開催。
- 5thシングル「浮気な、パレットキャット」発売。初のタイアップ、カネボウ化粧品春のキャンペーンソングとなる。作詞作曲はNOBODY。
- この頃蓑輪FairLady Zを買って乗り回す。
- 3月4日、福田信「マザーエンタープライズ」設立。
- 3月13日、ザ ベストテンにスポットライトで初出演!しかしランクインはせず、唯一のスポットライトに出てランクインしなかったアーティストとなる。
- 4月1日、4thアルバム「ROLL OVER」発売。大友はジャケットの自分の髪型を見て『伊東四郎みたいだ』と思う。
- 5月22、23日、ROLL OVER TOUR日比谷野外音楽堂2DAYS!!
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- 6月21日、ライブビデオ「ROLL OVER TOUR TOKYO」発売。
- 7月1日、1stLiveアルバム「ROLL OVER TOUR TOKYO」発売。
- 9月1日、6thシングル「涙のBirthday」発売。
- 9月30日、DOG FIGHT LIVE TOUR初日OPININGに初めて「炎のランナー」が使われる。場所は川崎産業文化会館。
- 10月30日、大友は突然ハウンドドッグの解散を宣言。バンドの信頼関係は大友とメンバーのあいだに溝ができ『大友は福田とつるんで俺達の首をきるつもりだ』とメンバーにささやかれる。大友以外のメンバーは仙台のフライングハウスを拠点に活動していく!という考えと大友の東京に籍を置いて活動する!と意見が対立。幾度かのミーティングの結果東京に移籍して活動を続けて行く事になる。
- 1983年
- 1月21日、ショーケンの武道館コンサートにゲスト出演。11月2日に
- 武道館でライブをやる事を宣言!
- 3月、マザーエンタープライズに移籍。『熱烈祝賀!!』という福田社長の言葉で「GREY
HOUND」発足。
- 5月21日、7thシングル「STILL !」発売。
- 7月1日、6thアルバム「BRASH BOY」発売。
- 11月2日、初のハウンドドッグ武道館ワンマンライブ!1月に宣言してから10ヶ月と10日まさに新しいハウンドドッグの誕生の日となる。
- 『のっとれ武道館1万人を人質に』を合い言葉に1万人を動員。
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- 12月21日、武道館のライブアルバム「狼と踊れ」発売。
- 1984年
- 3月、メンバーで唯一仙台に住んでた海籐が電話で大友にハウンドドッグを辞める事を告げる。その時八島の曲に詩をつけていた大友は海籐に対する思いを詩に書く。その曲はのちに発売されるアルバム「Dreamer」に収録、曲名は「Hey
Brother」。
- 3月21日、8thシングル「Please Please Please」発売。SonyカセットのCMソングに決定。大友久々のタイアップに喜びCM解禁日にTVに釘付け、やっと深夜に放送されるが使われてるのがイントロで画面の隅に小さく「Hound
Dog」と書いてるだけでガッカリする。
- 蓑輪は海籐に替えて「Twist」でベースをしていた鮫島秀樹に電話をする。
- 待ち合わせをした店に少し遅れて鮫島が「Twist」のスタジャンを着て登場する。
- 4月、鮫島秀樹をサポートメンバーに加え「Great Escape Tour'84 狼と踊れ」スタート。最初のMCは『ベースの海籐が辞めまして、、、』で始まるツアーだった。
- 6月21日、9thシングル「Good-bye Dreamer」発売。この曲は藤村が大友の事を歌詞にする。
- 7月21日、9thアルバム「Dreamer」発売。集合写真は大友、八島、高橋、藤村、蓑輪の5人の写真。
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- 8月26、27日、宮城県民会館でツアーファイナルを迎える。この日を最後に高橋と藤村が脱退。高橋は『大友、もう一回やり直すから』と訴えるが大友の首は縦に振る事は無かった。このツアーの後は白紙状態で巷に「ハウンドドッグ解散説」が流れる。
- 9月、まずはドラムのオーディション開始。10数人がこのオーディションに参加その中から橋本章司"ブッチャー"が選ばれる。 ギターは蓑輪と鮫島の推薦で西山毅に決定!!
- 10月、新メンバーで河口湖スタジオにてリハ合宿。
- HISTORY 1984〜に続く
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