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 本丸跡          

馬屋跡    

右中央平らな山が益富城です。4月下句、馬見山麓方面レンゲ畑より

1615年に一国1城令がでて黒田藩の出城である益富城も廃上の代わりに燐翁寺末寺として建立、山城、山門の様子を残しています。

 鮭神社
全国で唯一の鮭神社、中に絵馬等があります

 鮭神社の鳥居
黒田武士酒造のすぐ隣にあり、すぐ判ります(国道211号筋)

 黒田武士酒造
以前は大きな煙突があったのですが台風で壊れたと、黒田武士酒造主人が言われていました。黒田武士という名の煙突がほしいですね

 黒田武士店舗
ここで車を駐車し帰りに、にごり酒、なら漬等の土産を買うのも良いでしょう

益富城跡、案内版          

 母里太兵衛の墓
この日も酒が供えられていました。

益富城より竹林道を通り北斗宮へ向かいます.        

 益富城跡

 益富城は戦国時代より江戸初期まで城主が入れ替わりますが有名なのは黒田二十五騎の一人、後藤又兵衛と、黒田節でも唄われている福島正則より大杯にて、酒を飲み干し、名槍「日本号」を奪い取った母里太兵衛です。                 

益富城の歴史版

画像をクリックすれば拡大します。画像を小さく元に戻すには画像左上の ← 戻るをクリックれば戻ります。              

 嘉穂町の梨園
リンゴ園と同じ敷地にあります。
リンゴと同じ時期に一斉に花が咲きます。
          

 嘉穂町リンゴ村、
益富城より車で5分の処で九州で最初にリンゴ園ができ春にはリンゴの花で満開になり
秋にはリンゴ祭りが行われます。  満開のリンゴの花の下で友人との宴は最高でした。 
 白米流し
秀吉が白米をここから流し、一夜にして、大きな滝を作った様に見せた、防御の為の跡です                    

 櫓跡
戦闘と防衛の為の
櫓跡です  

 益富城は福岡県のほぼ中央、水のきれいな農産物豊かな嘉穂町に位置します。  九州にありながら、古処連邦の降った雪は、春になっても山陰には残り。  この雪解け水が、清らかでおいしく、九州での鮭の遡上する川(遠賀川)の源流となっています。  又、全国で唯一、鮭を奉る「鮭神社」があ12月13日には献鮭祭が行われます。  嘉穂町の嘉はよい、よろしい、すぐれるの意味があり米のおいしい処と古来より地名にも、そのまま付けられたのでしょう。この様に嘉穂郡一帯には稲を作る処で稲築町、稲穂がたわわに実る穂波町、飯が塚の様にある飯塚市と、古来より水がおいしい為、米のおいしい、豊かに実る一帯です。又、近年では桂川町にて、日本で最初に無農薬アイガモ農法が行われ世界から見学者が訪れています。

 燐翁寺
境内に母里太兵衛の墓があり、常に酒が
供えられています。
  燐翁寺の説明文

黒田二十五騎の絵馬

益富城本丸跡より嘉麻平野、嘉麻川と古処連邦を望みます。一番右が秋月藩の隠し砦がある山です。

  北斗宮
空も綺麗なため星も良く見え北斗宮にちなみ、星祭りも行われます。

 鮭神社の中
鮭の彫り物や遠賀川で釣れた鮭の魚拓があります

鮭を奉納したあと、感謝の為に
埋めたのでしょうか

奉殿には三種の神器の一つ、鏡と鮭の薫製が飾られています

行程と日時   リンゴの花の咲く頃に時々、同じコースで出かけています        

 酒造・黒田武士酒蔵 → 鮭神社 → 円通寺 → 益富城 → 北斗宮 → 聖寿山麟翁寺 
                                                    リンゴ村                                    
              1分     10分     15分     15分     5分    →車5分                                             

直線上に配置

益富城、歴訪

下へスクロールして御覧ください。 

 黒田節で有名な母里太兵衛の山城と周りの史跡等を巡ってみました。 何度も友人、家族と、ハイキングで登っていますが、撮っていない写真もあったので、2003年10月11日にホームページ用にと撮影に行きました。