県民の願いや声を県政へ 原田孝司

プロフィールprofile

経 歴

【名 前】 原 田 孝 司(はらだ たかし)
      1959年3月生まれ(現在57歳)
【出身地】 別府市光町(旧栄区)
【現住所】 別府市鶴見町
【家 族】 妻と娘2人の4人と愛犬1匹
【略 歴】 1971年 3月 別府市立西小学校卒業
      1974年 3月 別府市立山の手中学校卒業
      1977年 3月 大分県立別府鶴見丘高校卒業
      1983年 3月 大分大学教育学部教育学科卒業
      1983年 4月 小学校教諭として玖珠郡や別府市の小学校に勤務
      2006年10月 別府市立鶴見小学校を最後に退職
      2007年 4月 別府市議会議員選挙にて初当選
      2011年 4月 大分県議会議員選挙(別府市選挙区)にて初当選
      2015年 4月 大分県議会議員選挙(別府市選挙区)にて2期目の当選

 この間、教職員組合役員や労働団体の集合体である連合大分別杵速見地域協議会(現在は、国東地協と統合し、2011年12月より連合大分東部地域協議会と名称変更しています。)の事務局長や別府地区平和運動センターの役員を歴任しました。
【議員歴】 大分県議会 議員(11年度〜現在2期目)
       同 福祉保健生活環境委員会 委員(13〜14年度、17年度〜現在)
       同 福祉保健生活環境委員会 委員長(17年度〜現在)
       同 商工労働企業委員会 委員(16年度)
       同 文教警察委員会 委員(11〜12・15年度)
       同 文教警察委員会 副委員長(12年度)
       同 議会運営委員会 委員(13年度)      
      別府市議会 議員(07年度〜10年度の1期)
【役職歴】 大分県観光振興議員連盟 副会長(11年度〜現在)
      社民党大分県連合 副代表(11年度〜現在)
      社民党大分県連合 常任幹事(08年度〜10年度)
      緑の党 サポーター(14年度〜現在)



折り鶴に込めた願い

 原田孝司のシンボルマークは平和を象徴する折り鶴です。
 背景には、教育・福祉・労働を表現する虹がかかっています。


私の思い〜勤労者の思いを生かした政策の実現にむけて〜

 私は光町に生まれ、西小学校、山の手中学校で学びました。中学生になったある日の下校時、友だちと一緒に帰っていると職業安定所(現ハローワーク)から父が出てくるのを偶然見かけました。「なぜ、こんなところに」と思いましたが、すぐに「父は失業したんだ」と理解しました。
 私の父は、旅館の番頭をしていました。番頭には内番頭と外番頭があり、内番頭は旅館内でいろいろな仕事を受け持ち、外番頭はお客さんを旅館に案内します。父は外番頭で、別府駅に降りてくるお客さんに旅館を勧め案内していました。給与の大部分は歩合によるもので、収入は安定していませんでした。別府に観光客が押し寄せていた時代は良かったようですが、観光客の低迷とともに、旅館の経営も厳しくなっていたようです。父は旅館を解雇され、職安に通っていたのです。
 家に帰り、父を見かけたことを話そうかと迷ったのですが、「父が言うまで黙っておこう」と思いました。しかし、1週間、2週間が過ぎても父も母も何も言いません。子どもたちに心配をかけたくなかったのでしょう。

 別府鶴見丘高校、そして大分大学を卒業して教職に就いたとき、父と母は本当に喜んでいました。私の幼い頃からの夢であった教職に就くことができたこととともに、公務員という「安定した職業」に就いたという点でも喜んでいたのだと思います。そういった家庭で育ったものですから、10年前に市議会議員選挙に出るという話をしたときには、「せっかく先生になったのに、絶対に賛成できない。」と猛反対でした。
 私自身も悩み抜き、重苦しい日々が流れる中、母が脳溢血で倒れたのです。「母が倒れたのは、私が市議選立候補の件で心配させたからじゃないか」と考え、立候補の話を断ろうとも思いました。
 母が緊急の手当をしていたときに、病院の待合室で父と二人きりになりました。重苦しい雰囲気の中、三十数年前に職安から出てきた父を見かけたことを話しました。
「そうか、あの時おまえ見てたのか。俺にもお前たちのような組合があればクビにならずにすんだかもな。」
「働く人が、経営者の都合で簡単に解雇されるような社会を変えたいんだ。」
「お前一人で変えることなんてできないだろうが。」
「一人では変えられないと思う。でも、俺は一人じゃない。支えてくれる仲間がいる。共に闘ってくれる仲間がいる。仲間と一緒に訴え、少しずつでも実現させていきたい。そのために選挙に出ようと思う。」
 長い沈黙の後、父は一言「わかった、がんばれ。」と言ってくれました。

 しかしながら、市議選の年の4月になり告示を迎え、選挙車が回り始めて3日目の火曜日に母は再び倒れ、医師から「もってあと2日です。」と告げられました。
 選挙をしている息子に迷惑をかけなくなかったのか、母は選挙の最終日まで頑張り抜きました。ファイナル集会が終わった後、妻と母の病室に泊まりました。それが母の最後の夜になると感じていました。
 投票日の朝、母は家族に看取られ静かに逝きました。当選の報を届ける前だったのは残念でしたが、私とともに最後まで頑張ってくれました。父の失業を乗り越え、私たちを育ててくれた強くやさしい母でした。

 近年、「リストラ」という、経営側にとって当たり前のような言葉で多くの働く人たちが「首切り」をされています。
 そして今日もハローワークには、多くの方々が職を求め詰めかけています。その前を通る度に、中学生のときのことが思い出されて胸がしめつけられます。失業を余儀なくされた方々、そしてその家族の方々は本当につらい思いをされていることと思います。そのような家族を少しでもなくしていくことは政治の役割だと思います。
 私にとって組合運動は運動というよりも生き方そのものです。市民の多くは勤労者です。だからこそ、勤労者の思いを生かした政策が今こそ必要な時代だと考えています。
 私一人では微力です。同じ志を持つ仲間の議員と連帯しながら、その思いを実現させていきます。

原田孝司連絡先

〒8743-0833
大分県別府市鶴見8組3の上
TEL 0977-26-7669
FAX 0977-26-7669
E-Mail harada@ctb.ne.jp