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変電所の近くの区営温泉の裏に墓地があります。そのかかりに面の広い石塔(祠)があります。昔から疣(いぼ)神様と呼ばれる祠です。祈願者は年の数だけ小石を拾ってお供えすると疣が落ちると云われたそうです。祠のそばに古形の宝篋印塔の笠などがあります。
 豊後道の石垣ルートはこの付近で終わります。
昔のままの石垣の上に、大師塔(石殿)とお墓があります。
享和元辛酉年 □無大師遍照金剛 願主野宮□右衛門
石殿は破風に朱があります。銘のある石の上に大師の座像が安置されています。銘のある石は「南無」の南が欠けています。石塔と石像を後でまとめて石殿に収めたのではないでしょうか。石殿には記年がありません。
しばらく行くと、豊前道は大きく左に曲がります。曲がり角に大きい石殿があります。土地の人は目歯頭(メハズ)様と呼んでいます。石殿の中には石版に彫られた二体欠けた六地蔵があります。正面に色の残った首のない地蔵が祀られています。お祭りに「やせ馬」が供えられていたそうです。
石殿の廻りに五輪塔や宝篋印塔が集められています。
桜の木から二・三十米行くと、二基の石塔があります。 
 
天明元丑□ キリーク厚譽夢及□信法子 七月□朔日  (梵字キリークは阿弥陀)
 
文政八乙酉九月廿二日 i道祖関首座 遠州高林少林寺徒 
いつも野の花が供えられています。
吉弘神社を過ぎて鶴校通りをやや北に向かい、やがて左に折れると道端の桜の木の根元に、墓石と崩れかかった石殿と火袋の壊れた灯籠があります。
墓標には
寛政元年酉年九月廿三日  皈元廣譽行安信士 當村道国七右衛門
とあります。墓地には新しいお墓の間に享保や宝暦の古いお墓が残っています。
二十米ほどで右に廻ります。道のそばの空地に宝篋印塔古塔群が草の中に並んでいます。形は完全でありませんが、いずれも部分的には鎌倉時代末から南北朝の時代の塔の特徴が見られます。野の中の塔は静かに朽ちています。
この辺りは慶長以前は旧実相寺の境内だったようで、方々に形の古い塔の残片があります。
(実相寺町の宝篋印塔参照)
曲がりくねった豊前道には路傍に昔の面影を見ることが出来ます。
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豊前道の佛たち