平成17年6月1日発行 第31号


本の紹介 自閉症裁判


今から4年前の平成13年4月30日、東京の浅草で起きた事件を覚えていますか。レッサーパンダ帽をかぶ った男が通りすがりの女子短大生を刺して殺した事件です。この事件は凶悪な通り魔事件として片づけられて しまいました。著者は裁判と加害者だけでなく被害者の家族の取材をとおして、障害者が起こした事件に対す るこの国の司法の問題点を明らかにしていきます。

加害者の青年は軽い知的障害があるということは報道されましたが、自閉症でもありました。しかし、捜査の 段階でも裁判でも自閉症ということは正面から取り上げられることはありませんでした。弁護人が自閉症であ ることを主張するのですがそれは退けられます。養護学校の教師の経験がある著者は自閉症である「彼らの言 動を正しく理解するためには『翻訳』作業が必要なのだが、それがどこまで果たされているのか」(314頁)と 問うています。そして「この事件の犯行の外形や動機といったものを考えるとき、障害の特徴への理解が欠か せないと言いたい」(224頁)と続けます。自閉症という視点が欠けていたため彼の真の姿は明らかにされず、凶 悪な通り魔殺人犯という作られた犯人像に仕立て上げられていったのです。

しかし、著者は、加害者が発達障害をもつからといって刑法39条の「心神喪失者」や「心神耗弱者」を適用し て罰の軽減を求めているのではありません。むしろ誰であろうと罪を犯したものは法の裁きをしっかりと受けて 欲しいと主張しています。「人としての『罪と罰』を求めればこそ、障害への理解が不可欠となるのであり、そ れなくして責任も贖罪も十全たるものとはならないのではないか。ほんとうの意味での再犯の防止とはならない のではないか。それが私の述べたいことのすべてなのである。」(224頁)

本書は、加害者の障害にあえて目をつぶり、ただの通り魔殺人事件として処理してしまうこの国の裁判、そして 無期懲役という判決で刑務所に閉じこめてしまうこの国のやり方に疑問を投げかけます。

被害者の家族と加害者の家庭のルポルタージュにも紙面が割かれています。特に加害者の家庭の悲惨な様子が描 かれています。知的障害があり生活能力のない父、ガンを患いながら一家の生活と自分の治療費を稼がねばなら ない妹、その妹に金の無心をする加害者、この家族にやっと福祉の支援が入ったのが事件が起こってからでした。 「ここにあるのはなにか。福祉の支援からこぼれ、家族も離散し、あるいは家出し、食い詰め、追い込まれた挙 句の犯行である。刑務所を出所しても引き取り手はない、戻る場所もない、働き手として雇ってくれるところもな い。ホームレスまがいの暮らしを余儀なくされるなかで、再び同様の行為をして刑務所に戻っていく。ここから 窺われることは、まぎれもなく、知的なハンディをもつ人たちが、事実関係をうまく語ることのできないまま自 白供述を取られ、裁判に乗せられ、覚束ない証言のままに刑務所に送られていく、という現実である。そして福祉 が支援の手を差し伸べてこなかったという現状である。」(240頁)

加害者の妹は事件の1年後の夏、支援者の手厚い支援を受けながらやっと手にした「人並みの生活」の中で他界し ました。25歳でした。

本書を読み終えて、この本が、理不尽な凶行で20年の人生を突然断たれた被害者と25年の決して幸せとは言え ない人生を送った妹、2人の女性への鎮魂の書でもあることをひしひしと感じます。

折しも、立ち上がるレッサーパンダの話題がマスコミをにぎわしています。すっくと立った風太君の立ち姿、否が 応でもこの事件を思い出させてくれます。            

(田北)

自閉症裁判〜レッサーパンダ帽男の「罪と罰」:佐藤幹夫著、洋泉社、2005年、2,200円+税