
いまさら紹介するまでもありません。「こんな夜更けにバナナかよ」は、昨年3月に発行され、多くの人に感銘を
与え、第35回大宅壮一ノンフィクション賞と第25回講談社ノンフィクション賞を受けました。筋ジストロフィ
ー症による重度の障害がある鹿野靖明さんと彼の生活を支えるボランティアの日常を鋭くとらえたルポルタージュ
です。
筋ジストロフィー症が進行したためベッドから動けないままの鹿野さんは、痰の吸引、食事、排せつ、寝返り、外
出などなど、全てが他人の手を必要としました。そこで、24時間365日のボランティアが彼の生活を支えるよ
うになったのです。やがて病気が進行し、人工呼吸器を必要とするようになると、命までもがボランティアと機械
に支えられる生活になりました。そんな鹿野さんとボランティアの関係を、ただ表面だけでなくその内面にまで鋭
く踏み込んでルポしたものです。
文中、次のような課題が提起されます。
「制度的には、障害者も健常者も『同じ人間』として普通に生きる権利を保障されるべきであるという大原則は疑
い得ないにしても、ただそれだけで簡単に物事を処するわけにはいかないという現実が、介助の現場にはザラにある。
その根本にあるのが『ワガママ』つまり、エゴとエゴ、立場と立場のぶつかり合いをどうするか、という問題である。
どんなにバリアフリー化が進み、どんなに社会的条件が整えられようとも、『他人の介助を必要とする者』(障害者)
と『必要ない者』(健常者)という身体的な違いは残る。
そして、介助という行為を通して、その『違い』から生ずる精神的な対立や葛藤をどう乗り越えてゆくのかという問
題もまた、永遠の課題として残るのではないだろうか。」(本文から)
著者の渡辺一史さんは障害者と健常者の「あるべき関係」を、鹿野さんとボランティアの中に探しました。しかしそ
こには「『自分と他者』という問題が日々凝縮した形で息づいている。とりわけこの本の主題となったシカノ邸と鹿
野靖明氏の生きざまには、それをさらに茶こしで濾過し、煮詰めたような濃密さがあった。」(あとがきから)のです。
探したことのはっきりした答えは見つかりませんが、この本を読むことで、今まであまり深く考えずにいた「障害者
とボランティア」、「障害者の地域生活」、など障害ある人の地域生活を支えることについてばかりでなく、「自分
と他者」、「人としての自立」など人間としての普遍的で根元的な事柄についてあらためて考えさせられました。ぜ
ひ、多くの人に読んでもらいたい本です。
「こんな夜更けにバナナかよ」というくだけた書名のとおり、難しい本ではありません。色々なエピソードが盛り込ま
れていて一気に読める本です。書名の由来となったエピソードを紹介します。
「ある日の深夜、病室の簡易ベッドで眠っていた国吉は、鹿野の振る鈴の音で起こされた。『何?』と聞くと、『腹が
減ったからバナナを食う』と鹿野が言う。
『こんな夜更けにバナナかよ』と国吉は内心ひどく腹を立てた。しかし、口には出さない。バナナの皮をむき、無言で
鹿野の口に押し込んだ。二人の間には、言いしれぬ緊張感が漂っていた。(略)
もういいだろう。寝かせてくれ。そんな態度を全身にみなぎらせてベッドにもぐり込もうとする国吉に向かって、鹿野
が言った。
『国ちゃん、もう一本』
なにィー! という驚きとともに、そこで鹿野に対する怒りは急速に冷えていったという。」(本文から)
なぜ、「怒りは急速に冷えていった」のでしょうか。それを理屈で説明するのは困難です。でもこの本を読み進むと何
となく分かってきます。理屈では説明できない出来事、それがあるのも、これが人と人との関わり合いだからこそでし
ょう。
(田北)
「こんな夜更けにバナナかよ」渡辺一史著、2003年、北海道新聞社、1800円+税